横須賀旅行記'24 2024年06/14-06/15 |
6/14(金)、東京に出張したついでに妻の許しを得て1泊して関東周辺で観光しました。 メインの目的地は神奈川県の横須賀で、おまけで川崎も立ち寄ってみました。 仕事を終えた竹バイクの姿は京急横須賀中央駅にありました。 なぜ横須賀かと言うとやっぱり海の街って魅力的だから...。 というのは嘘で東京のホテルが高過ぎて私には手が出なかったからです。 チェーンのホテルすら13000円以上というのはインバウンドが過ぎます。 それはさておき今回の宿はこちらです。 どこからどう見ても普通の家ですね。 外にも看板は無く、入口は外から見えないので知らなければ絶対に辿り着けない宿です。 この翁美家旅館が1泊4400円と極めてリーズナブルなんです。 それには理由があって築年数が古いだけでなく、元々連れ込み宿だったそうなんです。 戦後直ぐに後述するドブ板通りでパンパン(娼婦)が米軍の方を誘って行っていた場所ということですね。 今で言うところのラブホテルかもしれませんが、お部屋は昭和の雰囲気が残る四畳半。 そこに布団がポンと置いてあるだけで後はトイレ、風呂、洗面所などは共用です。 どこか懐かしいと思ったら私が住んでいた会社の寮にそっくりでした(笑) 部屋にエアコンもテレビもあって、布団の下にはマットも敷いてありフカフカなので竹バイクは何の文句もありませんでした。 ティッシュが無いことだけがちょっと不便かな(笑) 荷物を置いて、早速、横須賀の街を散策してみました。 とりあえず駅まで戻る感じで歩いていると、三笠ビル商店街なるものが現れました。 建物の1F部分がずっと商店街みたいになっているもので、途中で「豊川稲荷・成田不動尊⇒」との表示がありました。 こんな意味不明な表示を見たら行かざるを得ません。 矢印に従いビルを出ると、目の前に現れたのは部活の筋トレ並みの階段。 この階段を上がったところに小さな寺があり、そこが豊川稲荷・成田不動尊らしいです。 でももう閉まってました。(開いていてもまぁ行かないですけど) とりあえず横須賀の市街地が断崖絶壁に面していることはこのことからもよくわかりました。 お腹も減ったので駅近くにあるカリーすなっくベンガルで夕食にしました。 詳細 すなっくということでカウンターを挟んでおばちゃ...妙齢の女性がカレーを提供してくれます。 言い換えると普通のカウンターのみのカレー屋です。 でもここのカレーがレベルが高くて美味しかったです。 夕食を終えて駅周辺をもう少し散策をしてみると、駅近くに若松マーケットなる気になる通りがありました。 どうやら歓楽街でスナックなどが立ち並んでいます。 ただ大量の提灯がぶら下げられており、何とも異質な空気を感じたわけです。 そして至る所に横須賀ブラジャーの文字。 なんか乳房を誇張したセクシーな昭和の絵が書いてあるのできっと大人の秘密に違いない...。 ブラ(ンデー)と(ジン)ジャーを使ったカクテルでした。 若松マーケットを離れ、再び駅周辺を歩いていると何か路地に行列が...。 よく見るとみんな手に焼き鳥を持って立ちながら食べているじゃないですか。 相模屋という店で店前で焼いている焼き鳥を勝手に取って食べて最後にお勘定をするシステムです。 せっかくなので私も挑戦しましたが、お腹はそこそこ満たされていたので3本(450円)だけにしておきました。 この後も街を散策するのですが、横須賀が他の街と大きく違うのはアメリカ人の多さです。 横須賀にはアメリカ第7艦隊の基地があるのでここだけで3万人のアメリカ人が住んでいるんです。 したがって、街を歩いていても日本人と同じくらいアメリカ人にエンカウントします。 そんな横須賀でアメリカ人密度がさらに高いのがドブ板通りと呼ばれる場所です。 基本的に看板の表記は英語でアメリカっぽいバーなどが沢山あります。 日本なのにどこかアメリカにいるような錯覚を覚える場所なので街並マニアとしては外せない場所です。 あと横須賀はスカジャンの街でもあるのでドブ板通りの近くにはスカジャンのマンホールが設置されていたりします。 これくらいでこの日の横須賀散策を終えて宿に戻りました。 宿に戻って20時過ぎに風呂に入ると、この宿だからこそ体験できる趣がありました。 古い宿ですが今はwifiも使えますし、本当に不便は感じませんでした。 こうして明日の予定とウェブ更新作業をしていたら23時を過ぎたので横になりました。 外を歩くアメリカ人が大声で歌いながら遠ざかっていくのを聞きながらゆっくり眠りに落ちたのでした。 |
横須賀旅行記'24 2024年06/14-06/15 |
6/15(土)、横須賀2日目。 ぐっすり眠って、朝8時前に起床。 8時になると外から何か音楽が流れてきました。 アメリカ国歌でした。 横須賀市民の朝はOh say can you see~で起こされるんだという衝撃の事実を知ったわけです。 アメリカ国歌が流れた後に君が代も流れていたのは気遣いですかね。 とりあえず顔を洗って朝飯を買いに横須賀中央駅近くのヨコスカベーカリーに行きました。 詳細 昭和3年創業の老舗パン屋さんで名物のソフトフランスなるもの等を購入して、サービスのドリンクを紙コップに入れて宿に戻って頂きました。 フランスパンなのにソフトって矛盾していますよね(笑) パン自体のレベルがかなり高く、長年愛される店というだけはあります。 朝食を終えて、身支度を整えたら9時を過ぎ、宿をチェックアウトして徒歩10分ほどの三笠公園に向かいました。 ここから東京湾最大の無人島である猿島に向かいます。 往復乗船料1500円と入島料500円をチケットオフィスで支払い、乗り場に向かうと直ぐに乗船開始。 船は満員で2Fで立ちながら、港から離れていく景色をカメラに収めていました。 猿島まではたったの10分なので直ぐに島に到着。 今はBBQ、キャンプ、釣りをする人も多く訪れるようですが、この島のメインは猿島要塞と呼ばれた軍事史跡。 この島は江戸時代後期から東京湾に入ってくる外国船の監視をしており、明治期に要塞化されました。 外から見て分からないように、島内の通路やトンネルは全て岩壁を削って作られています。 第二次世界大戦で高射砲などが設置されたようですが、その後は放置され、ラピュタ化が進みました。 こうして東京湾に浮かぶラピュタの島として有名となり、現在はレジャーを含め、多くの観光客が訪れるようになったわけです。 ラピュタの島だけあって、ジブリ関連を私は見つけてしまいました。 オーム(王蟲)の子供です(笑) それはともかくBBQサイトを眼下に横須賀の街を望んだりすることも出来ます。 東京湾最大と言ってもそれほど大きくはないので、ゆっくり苔生す岩やレンガを撮影して楽しんでも1時間くらいで回れます。 こうして10:45の便で三笠に戻りました。 その後、船着場の近くにあるポートマーケットにお土産を買いに立ち寄りました。 地の物等を扱っていたりするので面白かったですが、ちょっとお値段は高めかもしれません。 息子たちに激怒されないように横須賀海軍カレーせんべいと横須賀チョコバーを購入して三笠公園に戻りました。 三笠公園には日露戦争で活躍した記念館三笠があります。 三笠があれば日本海海戦の指揮を執った東郷平八郎の像ももちろんあります。 三笠公園を散策していると第7艦隊の基地が見えるポイントにやってきました。 この三角屋根が米軍基地内のマクドナルドです。 マクドナルドの日本1号店は公式には銀座店ですが、それより前から基地内に存在した非公式日本1号店とのことです。 それはともかく朝から飲み物も持たずに歩き回って、竹バイクの喉はカラカラ。 基地のマクドナルドには年に1日しかは入れないので、スーパーで冷えたポカリと茶を買ってがぶ飲みです。 良い子は遠足に行くときにちゃんと水分を持って行こうね。 そんなこんなで気付けば正午前になっており、昼食にすることに。 ただ目を付けていた天丼屋もラーメン屋もいっぱいで入れず、気付けば駅に着いていました。 仕方なく昼食は先延ばしし、横須賀中央駅から12:15の東京方面の電車に乗り込み、横須賀とお別れしたのでした。 |
横須賀旅行記'24 2024年06/14-06/15 |
6/15(土)AMに横須賀観光を思う存分してから電車で移動し、京急川崎駅に13時前に到着。 京急川崎駅からアーケードの商店街である銀座街、銀柳街を歩いてみました。 関東ではあまり大きなアーケードは少ないのですが、このアーケードは栄えてました。 流石、150万都市川崎です。 川崎を訪れるのは初めてで、関西で言うところの尼崎の立ち位置なのでもっと煩雑なのかと思っていました。 しかし銀柳通りを南下した先にあるラチッタデッラはおしゃれな商業施設で想像となんか違いました。 ただ横の路地に少しだけ私が想像していた川崎が残っていました。 そこにある昔ながらの中華料理店「成喜」で昼食にしました。 詳細 頂いたのは焼きそばと水餃子で、街中華のレベルを超えた美味しさでした。 昼食後、JR川崎駅方面へ歩くと、地下街の入口があったので行ってみました。 アゼリアという地下街で店の密度はそれほど高くないですが、範囲はそれなりに広いようです。 JR川崎駅周辺には駅ビル以外にも高層の商業施設が色々あって人通りも多かったです。 駅の北側に行ってみるとTOSHIBAと書かれた東芝未来科学館がありました。 6月末で一般公開が中止されるということでこの建物の未来はあるのでしょうか(笑) 昔は川崎にも赤レンガ倉庫があったらしく今はバスのロータリーになっています。 デッキを通って再び駅の南側へ出て、アゼリアを通って京急川崎駅に戻ってきました。 ここから川崎の観光名所である川崎大師まで移動します。 川崎駅から川崎大師駅までは5分ほどで直ぐに着き、駅を降りると表参道商店街があります。 ただ土曜日だというのに人通りは疎らで、さっきまでいた川崎駅と同じ川崎市内とは思えないくらい静かでした。 本当に全国3位の初詣客を記録したことがある場所なのかと正直思いました。 表参道商店街を西から東へ歩いていると何故か川崎大師を過ぎて東側まで行かされます。 川崎大師の正面が東側を向いているのでこういう風になるらしいです。 大山門まで続く仲見世は飴を売る店が並び、とんとこと飴を切る音が心地良いです。 仁王像が睨みを利かせる大山門は想像以上に新しく1977年製。 平間寺というのが川崎大師の正式な名前であり、真言宗智山派の大本山だけあって大本堂は立派です。 訪れている人はそれほど多くありませんでしたが露店などもありました。 ここまでは普通のお寺ですが、境内の西側駐車場横に奇抜なデザインの建物がありました。 Is this Japanese traditional temple? 薬師殿というインド風の建物で、理由を調べましたが私が納得させる理由は見つかりませんでした(笑) こうして川崎大師観光も終えて帰りは東門駅から帰りました。 京急川崎で乗り換えて品川で下車、15時半頃の新幹線に乗って帰阪したのでした。 関東周辺にも魅力的な場所がまだまだあると認識出来た旅だったので、これからも金曜出張を有効活用して旅をしたいと思います。 |
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