神戸ポートタワー

日記2011 7-12月

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2011年7月2日(土)

一ヶ月以上日記を更新せず、すいませんでした。

この通り竹バイクは生きておりますので安心してください。

この一ヶ月ほどの近況について少し説明しよう。

6/16に名古屋を離れ、2週間ほど鎌倉で働いていた。

そして先週の土曜に関東から関西に戻ってきて、兵庫県の三田で生活を始めた。

引越しばかりしていてネット環境もなかったので、更新が出来なかったというわけである。

とうとうネットに飢えて、今は実家に帰ってHPを更新している。

再来週までネットは開通しそうにないので、頻繁な更新はもう少し出来そうにない。

3週間ほどネットもテレビも無い生活をしていたら完全に情報化社会から取り残された。

寮にテレビが届き、完全な孤立からは逃れられたことが唯一の救いである。

今のうちにここ一ヶ月の出来事を更新しておくのでご覧ください。

一ヶ月も更新していないとどこから更新すべきかも忘れている。

結構遊んでいたので、更新することは山ほどある。

それにしても良い友達がいることは幸せなことだと改めて感じる。

これからも頑張りますのでよろしくお願いします。

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2011年7月3日(日)

運動不足と飲み過ぎで最近お腹が気になりだした。

名古屋から神奈川へ引っ越した頃は一週間毎日飲み屋で飲んでいたわけで...。(笑)

不健康で飲み代だけに諭吉が飛んでいく生活を少し見直さなければならない。

会社帰りに飲み屋に行くのではなく、ジムに行く。

こんなカッコイイ生活してみたいなぁと思う今日この頃である。

冗談ではなく、体にも財布にも優しい生活を来週から始めてみようと本気で思っている。

500円でプールで泳げるという話を友人から聞いたので、早速行ってみよう。

もう数年間泳いでいないこともあって、色んな意味で泳ぎに行くのを楽しみにしている。

ともかく夏の海で見せられる体が作ることを目標に活動する。

その体を誰に見せるわけでもないが、男として肉体美というものは憧れの対象である。

社会人になって、早寝早起きという生活バランスは整えられたが、運動バランスは乱れたとヒシヒシと感じる。

30を超えると努力しても腹が出てくるという話である。

年齢を重ねると抗うことが出来ないのかもしれないが、何とか30までは美しい体を保ちたいものである。

こんなことを日記に書いているが、明日も飲みに行く予定が入っている。(ダメじゃん)

プールもビールも流体に変わりないという言い訳を言い出したら終わり。

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2011年7月12日(火)

契約から2週間でようやくネットが開通した。

ということで今は兵庫の山奥からHPを更新している。

寮の部屋ではWiMAXもただのガラクタになり、携帯のワンセグすら受信できない始末。

寮から毎朝6時30分のバスで会社に向かう生活って一体...。

自宅から無理して通うなら6時17分の電車ということで、それほど変わらないという事実に気付いてしまった。

非常に不便な生活をしているが、どこでも住めば都ということであと少しすれば離れたくなくなるのだろう。(笑)

4月から既に東海、関東、関西と引っ越してきたが、部屋が広く、飯が美味いことが今の寮の利点である。

住宅地だけあってバスもそれなりの本数出ているので困ることがないのも事実。

都会の喧騒から離れて自然の中で過ごせるのも利点と言えば利点だ。

歩いて10分ほどのところにイオンや量販店等もあるので基本的な買い物には困らない。

しかし、毎週末、大阪駅周辺まで出掛けているのは何故だろうか。

今まで三重の山奥に住んでいて街の構造の似た兵庫の山奥に引っ越したわけで、もう自然はお腹いっぱいということなのだろう。

ある意味落ち着くがある意味刺激が足らないといったところだ。

冬になればきっと凍てつくほど寒く雪も積もるんだろうなぁ。

ともかく何もすることのない田舎において、ネットが繋がって情報化社会への完全復帰が果たせて良かった。

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2011年7月16日(土)

三連休ということでぶらーっと実家に帰ってみた。

梅田に遊びに行って、そのまま実家に帰るというのがいつもの流れ。

ということで今日の日記は実家から更新している。

それはともかく報告し忘れていたがtwitterを先日から始めている。

ユーザ名はtakebike20なので良かったらフォローしてみてください。

日記はたまにしか更新できないが、twitterなら僅かな時間で書けるので、私の安否確認が容易に出来る。(笑)

そこまで私の安否が気になっている人はいないでしょうけど...。

twitterを始めたのは周りにいる友人たいの影響である。

流行には意地でも飛びつかないのが竹バイクだが、ここまで流行っていると乗らないわけにはいかなかった。

始めてみると色んな人の近況が分かるので予想以上に使えるツールだということに気付いた。

しかしながら携帯で見る場合、スマートフォンでないと非常に見づらい。

二つ折り携帯が少数派になってきており、twitterと絡めて何だか複雑な心境である。

使えるうちは買い換えないをモットーとしている竹バイクには現段階での携帯買い換えはし難い。

そうはいっても日本社会におけるスマートフォンの波は避けられそうにない。

ガラパゴス化しているのは日本ではなく、私の生活なのではないかと思う今日この頃。

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2011年7月17日(日)

研修で学んだことは多くあるが、一番印象的なのは英語の考え方についてである。

中学校から英語は勉強するものであり、点数が何点だからどうこうというものだった。

TOEICの点数が社内の評価としてあるのは事実だが、ビジネスで求められる英語がこれまでと異なるのも確かである。

ビジネスにおける英語は相手との交渉に用いられるものであり、スピーキングとリスニングが主である。

特に、スピーキングの能力が不可欠であるというのが特徴である。

英語によるビジネスでは話が止まったら終わりということで、文法よりとにかく話すことが大事らしい。

会話文中に前置詞が無いのは気持悪いらしいが、適当な前置詞を入れておけばO.K.らしい。

文法主体の日本の英語教育で教えられるわけない事実だが、これがツールとしての英語の現実である。

点数なんてどうでもいい、英語は使えてなんぼである。

そんな研修を受けて、私の英語のやる気が急上昇している。

英語を習得する一番良い方法は、サバイバルイングリッシュ。

会社を休んで海外に行くわけにもいかないので、英語を使う機会があれば積極的に活用する。

下手でも何でもいいから、自分の伝えたいことを伝える努力をする。

いつか必要になるなら今のうちに習得してしまったほうが良い。

こんなに英語がしたいと思うのは小学校以来である。

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2011年7月18日(月)

三連休もあると、休みすぎな気がしてならない。

特に実家にいると、家でだらだらしているだけなので、時間が経つのが遅い。

就職して実家を離れてから土日はほぼどこかへ出掛けている。

学生の頃からは信じられないほどの、アクティブな生活をしているわけだ。

寮にいると、一人でテレビとPCくらいしかすることがないので暇すぎて外に出るというわけで必然と言えば必然。

こんな生活を大学時代もしていればもっと素晴らしい人生を過ごすことが出来たかもと思っている。

過去のことは悔やんでも仕方ないが、環境によって人はこうも変わることが出来るという事実に驚いている。

毎朝8時頃には出社する規則正しい生活も良い影響を与えているのだろうか。

日頃遊べない分を、土日に回して気分転換しているとも考えられる。

学生時代から一番変わったなと思うのは、土日でも朝9時には起きて活動をしているところ。

齢25にして、ようやく時間の大切さを学んだというところか。(遅)

これからもっと時間がなくなると考えたら、今のうちに遊ばないと...。

久しく旅行もしていないので、近々ちょっと遠出してみようかな。

そういえばお盆の予定もまだ立てていなかった。(完全に忘れていた)

有給を利用してかなり長期間の休暇をとる計画(悪巧み)を早急に考えようと思う。(笑)

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2011年8月6日(土)

今日から夏の高校野球が開幕した。

三重県代表伊勢工は予想通り初戦敗退した。

三重県大会の決勝が伊勢工VS津西なんて、県予選一回戦であっても違和感ないカードである。

準決勝にはまだ強打の近大高専が残っていたのでまだ僅かな期待はあったのに...。

津西に13-15という何の試合と聞きたくなるような試合をしてくれたらもう諦めるしかない。

長年三重県大会を見てきているが、ここまで混沌とした大会は珍しい。

ともかく魔物が寝ている間に三重県代表は早くも甲子園を去ったわけだ。

兵庫県民になって少しだけ甲子園が近くなったので、期待できそうな高校が出ていれば行く気も起こったのに残念である。

今日の私は高校野球も見ずに有馬温泉で癒されていたのである。

それはともかく今日から私は長いお盆休みに突入した。

初日は温泉に入って、梅田で淀川の花火大会に行くカップルを拝んで実家に帰ってきた。

やっぱり実家は落ち着くなと思いながらも、明日からどうやって休みを有効に使うか考えている。

家の車でどこか近場に小旅行にでも出掛けようか。

睡眠時間が4時間以上あれば翌日元気に活動できる体になっているので、一日が非常に長く感じる。

生き方なんて自分で次第でどうにでも変えることが出来ると最近思うようになった竹バイクでした。

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2011年8月9日(火)

今日は甲子園で非常にうれしい出来事が起こった。

なんたってあの秋田が...秋田が...。(涙)

秋田県代表の能代商が秋田県勢として14年ぶりに勝利を収めたのである。

今年負ければ甲子園新記録となる14年連続初戦敗退だったのだが、秋田の意地と根性でその負の記録を回避したのだ。

つい数年前までは秋田の一歩後ろをずっと離れず三重が追っていた。

いつのまにか三重も北北海道もいなくなり、秋田は一人連敗街道を走り続けていた。

ゴロを打てば後逸し、一番酷い時期は見ているのも辛い年が秋田にはあった。

ここ数年は強豪相手に奮闘するも、どうしても勝つことが出来ない状態が続いていた。

そんな秋田がようやく長い長いトンネルから抜け出したことを思うと、感動して全身鳥肌が立った。(事実)

野球の強い都道府県にはいかに連敗にトンネルから出るのは難しいことかがわからないだろう。

今年はイケると思ったチームが余計なプレッシャーから、投手は制球が定まらず、野手は失策を連発する。

今年はダメだと思ったチームはプレッシャーがないだけマシな試合はするが、実力がないので結局負ける。

負け癖と呼ばれる癖は思った以上に厄介だが、能代商は堂々の試合展開で呪いを振り払った。

数年前の三重を思い出すようで、竹バイクは嬉しくてたまらない。

この気分がわからないなんて、それでも血も涙もある人間かぁーー。(笑)

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2011年8月10日(水)

HUNTER×HUNTERの連載が再開したらしい。

東北出身の冨樫先生が東北の子供たちを元気付けようとして再開されたにちがいない。(勝手な思い込み)

再開時の内容は人間の生み出した核爆弾のような兵器で蟻が無残なことになるというのが話なわけで...。

核とか人間の悪とか今の時代にもってこいの話になっている。

休載時にはこんなことが日本で起こるなんて思いもしなかったのに、流石冨樫先生である。

単行本も二ヶ月連続で発売してHUNTER×HUNTERファンとしてはうれしい限りである。

次はいつまで連載が続くのだろうか。

前回は、予想を遥かに上回る20週連続掲載だったので、今回もそれ以上いってもらいたいものである。

幽々白書の件もあるので、20話以内に急な話の展開で完結してしまうことも完全には否定できない。

この中途半端な状況からどうやって終わらせるか私には想像がつかない。

しかし、天才冨樫なら我々が想像もしない方法でラストまで突っ走ってしまうかもしれない。

ドラゴンボールを代表とするその類のマンガは力のインフレが激しすぎて途中からどうなっているのかわからなくなる。

HUNTER×HUNTERもその傾向が出ているので、そろそろ潮時かもしれない。(旅団って強いの?)

「幽助(魔族化)が仙水に勝った=ゴン(ゴンさん化)がネフェルピトーに勝った」が成り立つなら終わりは近いのかも。

ともかく再開したことで毎週の楽しみがひとつ増えたことはいいことだ。

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2011年8月21日(日)

土曜日に研究室のBBQに行ってきた。

OBとして参加したが、卒業したのがつい数ヶ月前なのであまり違和感がない。

天気があまり良くなく、雨が降ったり止んだりして厳しい環境だったが十分楽しむことが出来た。

就職してみると規則正しい生活をすることは出来るようになるが、拘束されている感があるのも否めない。

それに比べると学生時代は幸せだったなと改めて思うのである。

お金を頂いているのだからそれくらいは当たり前なのだけど、学生の雰囲気を久しぶりに味わうと羨ましくて仕方ない。

来年度から私の大学の博士課程は授業料が実質無料になるらしい。(年齢制限あり)

働きながら博士号が無料で取れるなら是非とも行ってみたいものである。

そうすればもう一度学生気分を味わうことも出来るではないか。

こんな情報を手に入れることが出来るのもBBQに参加したからである。

そして関西の企業に就職していなければ、BBQに参加することも難しい。

そういう意味で私の選択は正しかったのだろうと今になって思う。

自分のホーム(私なら大阪周辺)で就職することは予想以上に重要なファクターなのだろう。

ホームの強みは知人・友人が多いことや実家が近いことなどで生まれる精神的な安定なのだと私は考える。

そんなことを思いながら昨日は一日楽しく飲み続けた竹バイクでした。

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2011年8月24日(水)

先週の日曜日に一人で大阪名物巡りをしていた。

学生時代から大阪ばかり行っているので、あまり観光客が行くような店には行ったことがなかった。

大阪観光といえばキタよりミナミということで心斎橋・難波周辺へ。

心斎橋駅を降り、曇天の中、御堂筋を歩いていると財布を落としたという怪しげなおばさんが金を貸してくれと言ってきた。

京都から来たから30円貸してくれと道の真ん中で言われても信用出来るわけがない。(まず警察行け)

御堂筋と心斎橋筋にある神座で安くて美味いラーメンを食ってまた街へ出る。

小雨が降り出したが、めげずにアメリカ村方面に向かう。

アメリカ村はやっぱり雰囲気が違い、おかしな格好をした若者がぶらぶらしていた。

そんなところで伊賀者の私が甲賀流でたこやきを頂いた。

そうしてまた外に出ると厳つい黒人が「にいさん」とか言って声をかけてきたが完全無視。

一本裏の道から御堂筋方面に戻ろうとしたら昼間から完全にあやしい客引きが道行く人全てに声をかけていた。(小学生にも...)

その後、難波をぶらぶらして疲れたのでなんばウォークの英國屋でミックスジュースを飲んでほっと一息。

最後に夕食は自由軒のカレーを頂いて、完全に観光客気分を味わった。

帰るときに気付いたのだが、難波からなら寮に帰るより実家の方が近いという事実。

何はともあれどこか日本ではないような空間が大阪の一部にはあることは確かめられた。(笑)

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2011年8月25日(木)

最近、ちょくちょく会社近くのプールで泳いでいる。

一ヶ月券を購入してしまったので、行かないわけにはいかない。

プールに行きだした理由は単純明快である。

仕事をしていても一日中PCの前にいるだけなので、運動不足なのだ。

どうにかして体を動かさないとどんどんお腹に脂肪が付いてきてしまう。

最初はクロールをするのもかなりしんどい状態だったが、最近はかなり楽になってきた。

3歳くらいから小学校の終わりまで水泳をしていたので、感が戻ってきたのかもしれない。

1km強泳いで、会社で溜まったエネルギを消費する日々。

ようやく今日は潜水状態で25m泳ぐことが出来た。

小学生の頃に出来ていたことが出来なくなっていたので、また出来るようになって純粋にうれしい。

しかしまだバタフライが満足に出来ない...。

1km以上泳いだ後、バタフライをするとドルフィンキックで足が攣る。

まだまだ修行が足らないようなので、鍛錬に励もうと思う。

小学生の私はあんなに水泳が嫌いだったのに、今となっては泳ぐことが楽しくて仕方ない。

楽しんでカロリーを消費して肉体改造出来れるときたらこれ以上の幸せがあるだろうか。

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2011年8月28日(日)

昨日は大阪で1時間に77mmの雨が降ったらしい。

そんな日に私は会社のグラウンドで祭の準備をしていた。

一年に一度、地元の人を招いて盛大なお祭りをするイベントがあるのだ。

数十名のメンバーで二ヶ月ほど前から企画をし始め、準備をしていた。

本番当日は朝から晴れ渡り、非常に暑く、まさにお祭り日和だった。

午後15時頃から遠くに黒い雲が広がっているのが見えて、一雨くるなと予想できた。

16時開場で子供たちが大量に流れこんだかと思いきや、雨が降り始めた。

雨は強さを増したが、その時間は私のシフトではなかったので建物に避難した。

外からはびしょぬれの人々が次々とやってきたが、夕立と思われた雨は1時間しても止む気配が無い。

すると何だか運営本部が慌しくなってきたので、外へ出てみるとアナウンスで祭りの中止が告げられる。

35回目で初の中止という事態に驚くと同時に、完全な泥濘と化したグラウンドが中止の意味を物語っていた。

泥の上を歩いて自分たちのブースへ行くと、水溜りの上にテントがある状態だった。

景品に買った大量の飴やうまい棒を近くにいる子供たちに大盤振る舞いで配りまくる。

結局、帰路でも雨が止まず、びしょびしょになって寮まで帰った。

気分が塞ぎこんだので、同期数人と焼肉食べ放題に行って気を晴らしたのだった。

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2011年9月3日(土)

せっかくの土曜日なのに台風が来て外出出来ない。

もう半時間もすれば正午だが、朝から何も食べておらずお腹が空いた。

最寄のイオンまで歩いて10分程だが、この雨の中では億劫で仕方ない。

しかし、朝も昼も飯を抜いたら空腹で死にそうなので、この日記を書いたら覚悟を決めよう。

実家でいれば土日の飯など何も考えなくても出してもらえるのに...。

YAHOO!天気で大阪の天気を見ると、今日だけでなく明日も雨の予想。

台風一過で晴れ渡るのが私の中の常識だったのがいつの間にかルール変更されたのか。

髪の毛が伸びていて今週末に切りに行こうと思っているのに、この風雨の中の移動はなかなか面倒な状況だ。

この状況では何もすることがないので、家で世界陸上を見るしかない。

世界陸上を見ながらネットサーフィンをするという何の生産性も無い時間。

生産性は無いが、どこか精神的な安定を感じる不思議がある。

そろそろ空腹が限界で、頭の中が文章を書くより飯のことばかり考えるようになってきた。

脳内メーカーで見れば、イオンの中にあるマクドやKFCの文字が見えるだろう。

昨日、飲んで午前様で帰ってきたときにローソンで何か買っておけばよかったと後悔している。

過去を悔やんでもどうしようもないので、そろそろ覚悟を決めて行ってきます。

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2011年9月4日(日)

昨日は本当に一日中、風雨が激しく買い物に行って帰ってきたらびしょびしょになってしまった。

想像はしていたのもののやっぱり台風の日に外に出るのは控えたほうが良い。

何もすることが無いのでネットとテレビで過ごす。

夕食は宅配ピザを友人と食べて、ストⅣをしていたらいつの間にか22時を過ぎていた。

それにしても、まともにTVゲームをしたのはいつ以来だろう。

久しぶりの格ゲーだったが、行動を体が覚えているのは怖い。

ゲームをすると時間を忘れてしまうのはいつになっても変わらないものだ。

小学生の頃はゲームは一日一時間と決められていたのが懐かしい。

ゲームをし過ぎることはあまり良くないが、適度にゲームをするのは教育上プラスでないかと思う。

ゲーム機の黎明期であった我々の幼少期はゲームをし過ぎると馬鹿になるといわれていたが今の子供たちはどうなんだろうか。

我々の親世代が漫画を読み過ぎると馬鹿になるといわれていたが、今はそんなことがない。

文部科学省がもう少しその辺りを詳細に調査して公表してもらえると興味深い。

野田新内閣になって文部科学大臣も変わったわけで、たまにはそんなことをしてみてもいいのではないか。

ウィキペディア情報では新文部科学大臣は我が母校津高の先輩らしい。

かわいい後輩のどうでもいい望みを叶えてくれたらうれしいな。(笑)

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2011年9月10日(土)

一昨日9/8でこのウェブサイトも丸10年を迎えた。

そんなに大したサイトではないが、こんなサイトでも10年の間に色々あったわけである。

毎日バカコラを更新していた頃もあったし、一ヶ月に数回しか更新しなくなったこともあった。

竹バイクの気まぐれでいつの間にか旅行とグルメのサイトに変化してしまっている。

それにしても高校1年だった10年前の今頃は何をしていたのだろうか。

ウィキペディアで調べると10年前の9月11日にアメリカ同時多発テロが起こったらしい。

ディズニーシーが開園したのも10年前の9月9日のようだ。

つまりこのサイトはディズニーシーや同時多発テロよりほんの少し前に開設されたわけだ。

10年もこのサイトが続くことなどその頃は全く考えていなかった。

ある意味ウェブサイトの運営というのはその人の歴史を残していくことだと最近思うようになった。

人生が残り50年ほどあるとして、このページがあと50年続いたとしたら一体どうなるのだろうか。

50年前の都市の画像や食事の様子が残り、自分の子孫は竹バイクという人間がどのような生き方をしてきたのかを知ることが出来る。

これまで自分の先祖自身の生活を知ることは難しかった。(日記を残している人はいても基本的に公開しない)

ノートのように無くしたり物置の裏にしまいこむことはウェブ世界にはないためいつでも情報を取り出すことが出来る。

私が死ぬ前にもう一度最初からこのサイトを見直すことが出来ればこれ以上の幸せは無い。

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2011年9月11日(日)

今日は珍しく神戸三宮まで行ってきた。

神姫バスの定期券を持っていると、土日は定期区間以外でも\100で乗車出来る。

寮から歩いてすぐのバス停から三宮までちょうど1時間ほどである。

1時間もバスに乗って\100というのは神姫バスのサービス精神には驚かされる。

大阪に行くのも飽きてしまったので今度は神戸を攻めていこう。

まずは三宮周辺の地理を学ぶために今日は6時間ほど歩き続けた。

昼過ぎに三宮駅をスタートし、まずは飯を食いにグルメ本を片手に移動し始めた。

スタート直後に観光客を連れた異人さんに「この店は本物のKOBEビーフの店か」と尋ねられたが知る由も無い。

その後、回らない寿司屋で昼食を済ませ、どこかの離婚した夫婦が行った生田神社で恋のお願いをする。

北野方面の坂道を必死に歩いて人通りの少ない展望台から神戸の街を一望する。

山を下って、三宮のセンター街を散策しながら、もう一度三宮駅まで行ったり来たりしてみる。

そうして汗だくで旧居留地を歩いていたら警察に止められる。

何かと思ったら原発廃止のデモ行進をしているから行進を避けて歩いてくれとのことだった。(マジでうるさかった)

元町の中華街で豚饅頭を食べて、センター街の地下で晩飯を食ってまた\100払って寮に帰ってきたのだった。

神戸の地理はかなり頭に入ったが、もう数週間は神戸に行くのはいいかな。(疲れた)

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2011年9月18日(日)

世間では3連休らしいが、会社のカレンダーで明日は仕事。

労働組合が一番働きやすいように休日を設定してくれているから文句は無い。

ただバスや電車といった公共交通機関は休日ダイヤなので不便でならない。

そういえば10月に4連休が設定されているので、旅に行ってくる。

ユナイテッド航空のマイルがかなり貯まっていたのそれを使って格安の旅に出る。

行き先は沖縄那覇に決定した。

理由は明確、海外に行くと原油高騰で燃油サーチャージだけでかなり取られるので却下。

国内なら同じマイルでどこでも行けるので北海道か沖縄のどちらかが候補地に挙がる。

北海道には既に3度も行っているので、行ったことがない沖縄に決定。

マイルを使っての旅(航空券無料)であり友人を誘うのは難しく、一人旅をすることとなる。

一人で美ら海水族館に行くのは寂し過ぎるので、一人でしか出来ない沖縄の楽しみ方を考えることにしよう。

レンタカーを借りて、沖縄本島を一周するのもなかなか面白そうである。

まだ2週間以上先の話なのに今からかなりワクワクしている。

これだけ期待しておいて台風に来られたらどうしようもない。

前文がネタ振りにならないよう祈ることにしよう。(笑)

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2011年9月23日(金)

三連休ということで一ヶ月ぶりに実家に帰っている。

昨日、20時過ぎに退社して帰宅したのは22時過ぎになり、やっぱり実家から通うのはツラいと感じる。

しかし実家はやはり落ち着く&飢える心配がない。(笑)

実家に帰ってくるといつも地銀ATM巡業をして、通帳記入をして残高を確認する。

クレジットカードは奈良の南都銀行、ETCカードは三重の百五銀行から引き落としているややこしい状況なのだ。

口座に余裕がまだあるので変更する気はないが、いくら使っているかも認識していないので通帳を見てびっくりということもある。

給与口座はUFJであって、これもまた複雑でややこしい状態である。

実家から半径30kmにはUFJの支店もATMもなく、提携先コンビニのセブンイレブンも市内にはない。

ローソンATMも使えるというのが一般的だが、恐ろしいことに「三重県内のローソンに設置されているATMはローソンATMではありません」という謎の文章が...。(参照1参照2

地銀の百五銀行のATMを使えばUFJのATMと同じように使えるらしいが、ややこしいにもほどがある。

来週出張の予定があり少し手持ちの現金を増やそうと思いUFJを調べたのだが、上述の予想外の結果に驚かされたわけである。

それにしても寮費、食費は基本的に給与から控除なので、一人暮らしをしていても金銭感覚が全く養われない。

現金を使うのは飲み代と休日の食費だけというおかしなことになっている。

金銭感覚はないが、趣味にもそれほど金を使わず、博打もしないので気付けば金は貯まる。

金欠の人は羨ましいと思うかもしれないが、この生活が本当に幸せなのかとふと実家で思う。

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2011年10月5日(水)

たまには経済の話をしてみようと思う。

ギリシャが危険な状態で、ギリシャ国債を持つヨーロッパの金融機関がダメージを受ける。

そのダメージが世界を巡り巡ってリーマンショックを超える世界同時不況がやってくるという話がある。

そんなことになったら本当に困った話である。

不況でなくとも、円高で輸出の儲けが出ずにメーカとしては厳しい状態である。

不況になれば、買い控えとかで全く何も売れなくなり更にメーカとして舵取りが難しい状態なる。

リーマンショックの頃は学生だったので、不況だからどうしたと思っていたが、サラリーマンになって初めてその恐ろしさに気付く。

儲けがなければ当然ボーナスもカットされてしまい働く身としてはつらいわけである。

そんなわけで何はともあれ不況になることだけは避けてほしいものである。

ギリシャ人よデモをする前にまず働け。

ポリスの時代にアテネ市民は昼間から広場で雑談をして、働くことは貧しいもののすることとして働かなかったという話が思い出される。

それで社会が回るなら羨ましい限りだが、21世紀にはその考え方は通用しない。

ドイツ人とギリシャ人が同じユーロという通貨を使用していることが信じられない。

ドルが75円、ユーロが100円を切っても不思議ではなく、凄まじい経済の勢いを有する中国で儲けた元は国外に持ち出せない状況。

どこか円高のトンネルを抜け出す方法が日本経済の崩壊しか思いつかない。(手詰まり)

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2011年10月9日(日)

無事に沖縄旅行から戻ってきた。

今回の旅行で学んだことは、「ひとりで旅行に行くものではない」ということである。

一人旅というのは自由な行動が許されるので、好き勝手出来る点はプラスである。

しかし、目の前の風景を見て共感してくれる人がいないと寂しいものである。

観光だけでなく、一人居酒屋というのもかなり寂しい。

沖縄で旨いものを食うために地元の居酒屋に入ったものの周りが盛り上がる中、よそ者が一人っていうのは辛い。

ホテルに帰ってから寝るまでの時間も、友人と一緒ならいくらでも過ごし方があるが一人ではTVを見るしかない。

寂しさをだんだんと感じるうちに「人にやさしく」と思うようになり、客引きのおじさんにも優しく接するようになった。(笑)

関係ないが沖縄の客引きの人は話し方が優しいので、内地の客引きより気持ちよく話が出来る。

人にやさしくすれば相手もやさしくなるということを知ったので、少し丸く生きてみようと思う。

周りの人が自然と集まってくる人は必ずやさしさを持った人である。

一人旅の寂しさとやさしさの大切さを沖縄という土地で学んだのである。

国際通りでパレードを見ていたら何故か涙が出てきた。

人々の元気と真剣さ、声援を送る人々のやさしさが一人旅の寂しい心に沁みたのだろう。

人として生きていく中で大切なものをいつのまにか忘れかけていたのを気付かせてくれた一瞬だった。

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2011年10月15日(土)

今日は久しぶりに梅田に出ていた。

目的は研究室時代の友人と飲みにいくこと。

特におすすめの飲み屋もなかったので、そんなときに使いやすいスーパー百番へ。

19時過ぎから飲み始めて気付けば22時30分を超えていた。

素晴らしい時間を過ごしたなぁと思いながら大阪駅で友人と別れる。

23時前の電車で大阪駅を出発し、最寄駅の新三田には23時40分頃着いた。

駅を出るといつもいるはずのバスの姿がない。

...土曜ダイヤでもうバスがないという現実に直面したわけだ。

平日なら24時55分まであるのに土曜は23時17分までないなんて聞いてないよ。

仕方なく駅から寮まで3.5kmの道のり歩いて帰った。

酔っ払いの体にはこの道はかなりキツイ。

さらに雨が降っているということで足元を見ずに歩いて水溜りに足を入れてしまう。

35分歩いて寮に着いたが、今度からはバスがあるかは必ずチェックしようと心に決めたのだった。

運動不足だったのでたまにはこれだけ歩いてみるのも悪くない。

普段行かない道で帰ってくるのもそこそこ楽しいものだと何とかプラス思考で考えようと必死に日記を書いてみる。

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2011年10月16日(日)

日曜日に何もせず家でゴロゴロしていると、何だか切なくなってくる。

ただ外出してどこかに行くとなるとかなり体力を使うのであまり気が進まない。

そこで名案が浮かんだ「そうだ、映画(Not京都)行こう」。

寮から徒歩15分のところにワーナーマイカルシネマがある。

ちょうど「猿の惑星ジェネシス」が見たいと思っていたのだ。

映画を見に行くのは半年以上ぶりである。

初めて訪れる近所の映画館はしっかりしているものの客の入りはそこまででもない。

チケットを購入するとき座席選択画面を見るとほとんど空席で驚いた。(田舎の映画館ってこんなものなのか)

しかし、ガラガラの館内で誰からも圧迫されずに映画を見るのも、映画館を貸し切ったみたいで気分が良いものだ。

猿の惑星という映画自体はネットで予告編を見て頂ければ大体のことはわかる。

昔の猿の惑星のようなスリル溢れる映画というより、猿の葛藤を描いた映画という感じである。

最後に人類が衰退していった理由が明らかになるのでそのシーンは「そういうことか」と納得した。

簡単に言うと神の領域を侵した罰は恐ろしいのだよということだ。

個人的な感想ではあるが、映画としては10点満点中5点くらいかな。

ただ映画の評価はいまひとつでもこんな日曜日の過ごし方はありかなと思う。

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2011年10月18日(火)

深夜2時前、人生で初めて救急車で運ばれた。

症状が出始めたのは昨晩23時頃、右下腹部に何か違和感を覚えた。

トイレに行っても便が出る気配もなく、腹の痛みは続く。

寝ていたら直るだろうと布団に入ったが、全く腹の痛みは治まらず落ち着かない。

何度トイレに行っても意味なしで、ついには痛みで嘔吐に至る。

深夜1時を過ぎて「これはダメだ」と感じて、119番に電話。

体も頭も問題なく動くのだが、腹が痛くて集中出来ない。

こうして救急車に乗って市民病院に運ばれる。

盲腸辺りが痛かったので虫垂炎かなとも思ったが、症状を説明すると医師は言った。

「おそらく尿管結石です」と...。

尿に血が混じっていたらしく症状からも完全に尿管結石の症状だそうだ。

そんなこんなで痛み止めの座薬を入れと点滴をすると痛みが引き、午前3時過ぎにタクシーに乗って寮に帰る。

今日は仕事を休み、朝から市民病院検査で検尿と腹部のレントゲンを撮り検査を受けていた。

尿にはまだ血がかなり入っているらしいが、石は尿管、腎盂にはなく膀胱に白い小さな影が写っていた。

自然に石が排出されるのを待つしかないということで、いざというときの痛み止めが手放せない状況です。

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2011年10月21日(金)

病気になると本気で自分の体について考えるようになる。

火曜日に救急で運ばれて以来、トイレに行くたびにビビッている。

あれから一度も体調不良にはなっていないため、もしかすると治ったのかもしれない。

そんな淡い期待を抱くのもよいが、病気にならない体作りが大切である。

残業等で帰りが遅くなる日が多く、飯を食って風呂に入って寝る生活がしばらく続いていた。

この生活ではどうしても運動不足になるため、少しお腹が弛んできたのが気になっていた。

そんなときに尿管結石になったのは、ある意味大病になる前の警告なのかもしれない。

その日から風呂でのストレッチや部屋での筋トレを少しずつ始めるようになった。

子供が怒られるまで分からないのと同じで、大人は病気になるまで自分の状態が分からない。

つい一時間前まで元気に友人と会話していたのに、急に体調不良になって数時間後には救急車に乗っている。

「一寸先は闇」という言葉の意味が今となってはよくわかる。

一寸先は闇だからこそ万全の備えが必要なのである。

面倒なことでも自分のためになることなら時間を割いてするべきである。

それがどんな形にせよ数ヵ月後、数年後の自分にプラスに働くのは確かなのだから。

さて面倒な日記を書いたところで筋トレするか。(笑)

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2011年10月22日(土)

ミシュランガイドに奈良が加わったらしい。

小さい頃から奈良に親しんだ人間として、奈良には全く美食のイメージが無い。

志賀直哉も奈良のことを「食い物はうまいもののない所だ」と書いている。

奈良という土地は山間部が多く耕地が少ないため耕作には適さず、奈良盆地には大きな川がないため水もそれほど良くない。

観光客が奈良で使う飲食代は人間用より鹿用の方が多いかもしれない。(笑)

うまいものがなくても大阪に行けば何でも食べられるのでわざわざ奈良にうまいものがなくても奈良県民としては困らない。

そんな奈良にミシュランの星が付く店が出てくるなんて予想外である。

それ以上にミシュランが奈良を選んだこと自体が驚きである。

奈良の名物としては、柿の葉寿司、吉野葛とかがあるが、有名店は山間の吉野にある。

県民の80%が住む奈良盆地で私が美味しいと感じたものはつけ麺の無心くらいか。

天理の彩華ラーメンも有名だが、私はまだ行ったことがない。(神座も実は奈良らしい)

どちらにせよラーメンに行き着くあたりが食文化が弱い証拠である。

そういえばまだグルメで奈良の店を取り上げたことがない。

今度実家に戻ったときにでもぶらっと行ってみることにしよう。

そうは言ってみたものの、彩華ラーメンくらいしか思いつかない悲しさ。

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2011年10月29日(土)

本日行われた高校野球秋季東海大会準決勝で三重高が勝利した。

決勝進出ということで、来春のセンバツは確定と思っていいだろう。

秋の東海大会で三重のチームが決勝に進出するのは2011年以来10年ぶり。

出場校数に関して冷遇されている東海地方(2校)は決勝まで進出して初めてセンバツに出場できる。

つまり久々に三重県代表が実力でセンバツに出場するわけである。

三重県民としてうれしい限りである。

んっ?三重県民だと...そういえば私は既に兵庫県民になっているじゃないか。

住民票も移しているので完全に兵庫県民なのに何故か兵庫県民だという意識がない。

実家がそれほど遠いわけでもないし、文化が大きく異なるわけでもないことが原因だろうか。

遊びに行くといえば大阪で、昔と何も変わらないわけだし...。

阪神間に住んでいればもう少し兵庫の雰囲気を感じることが出来、兵庫県民としての自覚も出るだろう。

しかし、今住んでいるのは四方を山に囲まれたベットタウンである。

四方を山に囲まれたベットタウンというのは全く実家と変わらない。

早く阪神間に引越してもう少し今までと異なる暮らしがしたいものである。

ともかく甲子園に行きやすい阪神間に引っ越して、センバツで三重高の試合を見ることが今の目標である。(小さい夢)

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2011年10月30日(日)

昨日、久々にランニング(ジョギング?)をして、朝から体のあちこちが痛い。

7km強走っただけで体がこんなに悲鳴を上げるとは、体力の落ち方が酷い。

タイムを計測してスピードを算出すると時速9.3km/hという残念な結果がはじき出された。

地元で7km程度走っていた頃は、時速12kmくらいだったのに...。

一日中PCと向き合ってばかりの運動不足の生活が祟ったとしかいいようがない。

ただ、筋肉痛になると、自分を鍛えた感じがして少し気分が良い。

上半身の筋肉痛がまだ足らないので、こんな雨の日は室内で腕立て伏せに限る。(笑)

今思い出したのだが、先週木曜日に社内の健康診断があった。

身長が春から1.5cm縮み170cmを僅かに切るという悲しい思いをした。

身長はともかく、血圧が春より高くなって白血球が異常が多いことがわかった。

尿検査で潜血が出なかったので、尿管結石はいつの間にか流れてしまったようだ。

何にせよ体を気にして生活をしなければならない年齢になってしまったんだと思うと切なくなる。

健康な肉体には健全な精神が宿るという意味では体を鍛えるより恋をした方が良いのかもしれない。

このままではクリスマスになる頃には精神バランスが崩れるとともに倒れるかもしれない。

人生は面白いもので、本当に大切なのはお金で買えないものばかり。

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2011年11月5日(土)

今日は朝から会社のソフトボール大会であった。

休日の6時前に起床し、睡眠時間4時間の眠たい目を擦りながら伊丹市内の会社のグラウンドへ。

せっかくのソフトボール大会なのに、空は曇天でラジオ体操を始める頃には雨がポツリポツリ。

そんなに激しくはないが雨が降り続き、テンションが急勾配で右肩下がり。

チームも2連敗で日程を終了し、無料の弁当を昼に食べて解散しました。(笑)

昼からの時間を潰すために、会社近くの体育館に移動して、\200で体のゆがみを計測してもらった。

結果、右肩が異常に下がり、骨盤がずれており、その上かなりの猫背であることがわかった。

体が歪んでいることは知っていたが100点満点中27点という悲惨な結果に少し反省している。

その後、室内プールで1km強泳ぎ、サウナで汗を流してリフレッシュ。

体育館には無料で使える高機能なマッサージ器があるので、友人と二人の静かな空間で30分ほど癒されていた。

そんなこんなで16時になり、夕飯まで時間があるので伊丹のイオンモールに行ってみた。(初めて)

偶然、ぷいぷい軽音部のイベントが行われており、あの西靖を生で見てちょっと得した気分になった。(関西ローカル)

結局、イオンモールでもすることがないので、本屋で立ち読みしていたら17時半。

運動をしてお腹も減っていたので、時間的には少し早いが豆腐料理を食べに行った。(グルメ参照)

こうして様々なことをして寮に帰ったら19時半で、早起きすれば一日はこんなに長いのかと今更ながら感じている。

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2011年11月12日(土)

今日は充実した土曜日だった。

起床してTVを少し見ながらボーっとして9時頃から7km強のランニング。

走り終えていい汗をかいたので、朝風呂に入る。

少しネットサーフィンをしてから12時から予約していたカットに出掛ける。

カットが13時頃終わり、イオンで昼食を購入し一旦帰宅して、再びTVをボーっと見る。

所々にTVとかネットとかいう要素を入れると癒しを感じるわけである。

晩飯をどうしようかと悩み、急に美味いうどんが食べたくなったので食べログで検索を試みる。

結局JR尼崎駅近くにあるうどん屋まで行くことにして17時半のバスで出掛け、18時半頃にお店に到着。

讃岐うどんを食して、駅前のCOCOEの中にある本屋で観光ガイドを立ち読みしていたら急に映画が見たくなった。

寮の近くのイオンにあるワーナーマイカルで21時過ぎからIMMORTALSを鑑賞する。

IMMORTALSのような戦闘系映画には3Dがマッチしているというのが初3D映画の感想である。(時代遅れ)

ギリシャがどうこう言っているが、ギリシャ人は神々に祈る前に財政を何とかして欲しいものである。(笑)

映画の内容はR15だけあってかなりグロテスクな部分もあったが、迫力があって退屈せずに済む映画だった。

そんなこんなで映画を見終わって寮に帰ると23時半で、そこから風呂に入って再びネット&TV。

静と動がある休日の過ごし方って素晴らしいなと思うそんな土曜日だった。

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2011年11月13日(日)

今日は姫路で行われた第6回B-1グランプリに行っていた。

最近流行のB級グルメの全国大会がB-1グランプリである。

三田の寮から一時間で三宮まで行き、そこからJRで40分程度で姫路に到着。

姫路駅の改札を出るとB-1会場こちらという案内看板を持ったスタッフがあちこちに見える。

警備と警察もかなりの数がいて、B-1ごときにそこまでしなくても...と思っていた。

賑やかな商店街を抜け、姫路城周辺の会場まで行くとそんな考えは吹き飛んだ。

13時前に到着したのだが、来場者が多すぎてチケットの販売が一時中止している状態だった。

お腹が減っているのにこのままではヤバイと感じていたら13時25分にチケット販売が再開し急いで購入し飯の列に並ぶ。

腹が減っていたのですぐに食べられそうな山形県河北町の冷たい肉蕎麦の列に並んだ。

その後、色々食べたが詳細は近々グルメで紹介します。

15時半の販売終了までうろうろしながら\2000分のチケットを全て使い果たした。

全国から多くの団体が店舗を出していたが、会場で一番目に付いたのは、津ぎょうざをPRする怪しい踊りだった。

学校給食で出されていたからって、いい年したおっさんが体操服着て踊らんでもええやん。

他の団体はシンプルに歌を作って踊っているのに津だけは完全にネタに走っている気がしてならなかった。

たまにはこういうイベントに参加してみるのも面白いものである。(ちょっと遠いけど)

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2011年11月16日(水)

家計簿は付けていないが、一ヶ月に自分が使っている金は大体把握しているつもりである。

毎日風呂上りのジュース\100、休日の飲食代\2500、月の飲み代\10000、その他諸経費\10000といったところである。

普段の飯や寮の経費は給料から天引きされているので、金を使っている感覚は無い。

したがって自分の財布から出る一ヶ月の総支出は5万円程度といったところだろう。(バイト代と大差ない)

そこまで残業もしていないが、残業代だけで5万円くらいはある。

私の場合、残りは貯金となってどんどん貯まっていくのである。

金があるということを自慢したいのではなく、金の使い方を知らない悲しさを伝えたい。

欲しい物があったり、金を使う趣味があればすぐに残高が減っていくのだろうが、私の生活は金を使わなくても十分なのだ。

バブル前後に生まれた我々の世代は、贅沢を知らず人生の岐路はいつも不景気で物欲が他の世代に比べて低いと言われる。

最低限度の生活をするためにはアルバイトの稼ぎがあれば十分で、働くことにそこまで意味を見出せない人も少なくない。

あなたは何のために働いていますかと質問されたら、どう答えるか悩んでしまう自分がいる。

生きていくのにはそこまで金は要らないし、大切な人(家族、恋人)を守っているわけでもない。

将来に向けた貯蓄と思っても働くモチベーションになるはずもない。

しかし最近、映画やB-1に行って小額ではあるが金を使う娯楽の楽しさを少し感じることができた。(この年齢になって...)

金の使い方をもうちょっと知れば、もっと充実した人生が歩めるのではないかと考えるようになったのは進歩だろう。

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2011年11月19日(土)

ただの土日だが実家に帰省している。(帰省というほど大袈裟なものではないが)

目的は、コンタクトレンズの買い替えとインフルエンザの予防接種。

数週間前からコンタクトレンズを装着すると右目だけ乾きを感じて長時間つけていられない状態だった。

使い捨てではないコンタクトを使っていると、私の場合、二年弱の使用で右目のコンタクトがダメになる。

調べると使い捨てでないコンタクトでもある一定期間経過すると交換するべきらしい。

ただ何故いつも右目の方が先に悪くなるのかは不明である。(右目の方が視力は悪いのは確かだが)

そこで今度から2weekの使い捨てコンタクトレンズに変えてみることにした。

衛生的にも安全だし紛失しても諦めがつく点でベターだと思っている。

こんな小さなことでもいつもと違うことをしてみるのは面白いものである。

もう一つの目的であるインフルエンザの予防接種はここ数年間欠かさずに行っている。

自分のためになるし、周りに迷惑をかけないためにも予防は大切である。(竹バイクに似合わないコメント)

季節の変わり目で寮や会社でも風邪が流行っているようである。

不幸にも風邪やインフルエンザのウィルスもらって、大切な有給を苦しみながらベットの上で一人過ごすのは想像するだけで嫌だ。

医者に行かずに気合いで病気に打ち勝つタイプだった私が今週だけで泌尿器科、眼科、内科と医者に三回も行っている。

一番大切な恋の悩み(心の隙間)を治す(癒す)ことのできるお医者様はおられませんか。(笑)

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2011年11月27日(日)

昨日は、友人たちとレンタカーで岡山観光に行ってきた。

順次、旅行写真やグルメを更新するので、是非ご覧ください。

朝8時に出発して10時30分頃には岡山城に到着し、岡山城をぶらぶら。

現在の天守閣は鉄筋コンクリートであり、靴で入れるなんとも残念な城であった。

普通の城なら全国の城紹介コーナー的なものがあるのに、岡山城にはそれがなかったのは何故なのだろうか。

岡山城を出て、城の北側にある橋を渡るとそこは日本三大名園後楽園。

紅葉真っ盛りの後楽園は非常に美しく、結婚式用の写真を撮影する新婚さんが数組いた。(少し邪魔)

昼食後、吉備津神社を訪れ、倉敷に移動。

倉敷は観光客で賑わい過ぎて駐車場を探すのに一苦労だった。

中学校の修学旅行以来の倉敷はなかなか趣深く、美観地区の白壁の町並は美しかった。

アイビースクエアや商店街を散策して、日が暮れてきたのに時刻はまだ17時。(日暮れが早い)

晩飯には時間が早く、倉敷のおいしそうな店も見つけることが出来なかったので、尾道ラーメンを食べに行くことに決定。

尾道ラーメンの店を探して走ったら、色々あって何故か尾道ではなく福山に到着する。

結局、福山で尾道ラーメンを食べて、静寂に包まれた夜の福山城を訪れて満足して帰路に着く。

最終的に日が変わる前に寮に帰ってくることが出来、一日あれば結構遊べるなと感じた土曜日だった。

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2011年12月3日(土)

先週、人生で初めての経験を業務時間中にしてきた。

会社にバスのような車がやってきて、私の血液を400mlも回収していった。

世間ではこのイベントのことを「献血」というらしい。(ご存知?)

周りの人に訊くと、結構な割合で献血を経験しているようだが、私はこれまで献血というものをしたことがなかった。

金を出すのもケチる竹バイクが、血液と時間を差し出す優しさを持っているはずがない。

人間の優しさを取り戻した竹バイクは、血液を必要とする人のために動いたのだ。

人を助けるためなら業務時間中だということは忘れて、血を差し出すとともに一時間弱ジュースを飲み続けた。(んっ?)

400mlの血を出して、450mlのジュースを無料で飲んだわけである。

献血の車に入ると青ざめた顔で寝ている社員の方がいた。

私と同じく献血が初めての人のようで、血を抜かれて気分が悪くなったようである。

私もこんな風になってしまうのかと一抹の不安を抱きながらも、腕に太い針が刺されるのを凝視していた。(笑)

私は血管が柔らかいそうで、機械で吸引すると血管がペコペコ振動してなかなか血が出てこない。

結局、時間はかかったが何事もなく400mlを取られて、看護師に顔色良すぎと言われる始末。

血の気が多いので、たまには血を抜いた方がいいのかもしれない。

数週間後に血液検査のデータが送られてきて、予想だにしていなかった結果だったらどうしようとワクワクしている。

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2011年12月11日(日)

先日、人生初のボーナスというものを頂いた。

夏には寸志ということで僅かばかし頂いたが、賞与とは桁が違う。(実際のところ桁は一緒ですが...)

この寒い季節に懐が暖まる素晴らしいイベントだなと社会人一年目の素直な感想を述べてみる。

この金があったら一眼レフでも服でも気兼ねなく購入することが出来る。

金曜日にそんなことを思いながら仕事をしていたら、気付けば22時で飲みに行くことも出来ず吉野家へ。

臨時収入のあった花の金曜日のディナーが吉野家という悲しい現実である。

しかし、仕事が遅い自分に全ての責任があるので、誰にも文句は言えないのである。

懐は暖かいが心は寒い金曜の話はさておき、土曜にはカメラや服を見に梅田に行っていた。

ボーナスが出たこともあってか、休日の梅田はいつも以上の混み具合で人間の物欲の強さを感じた。(思い込みかもしれない)

ヨドバシで一眼レフの値段を確認して、もう一度よく考えてからどれを買うか決めようという結論に至る。

そんなことを考えていたら最終的に購入するのはいつのことになるのかと自分でも少し思うのだが...。

5万円を超える買い物はかなりの一大決心をしないといけないのが竹バイクの肝の小ささである。

その後、UFJのATMで記帳して預金額が増えていることを確認して笑みを浮かべる。

最終的に、阪急メンズ館でYシャツを2着購入するのが私の精一杯だった。(\7,000)

学生時代の方が思い切って金を使えていたような気がしてならない。(2009年8月23日の日記参照)

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2011年12月17日(土)

今年中に完了しないといけない仕事がたまっていて、忙しさに負けそうである。

本当に忙しければ、土曜出勤しているはずだが家でいるということはまだまだ余裕ということだ。

大晦日が近づいてくると冗談抜きで焦りだすので、来週あたり土曜出勤かもしれない。

ともかく22時まで働いて帰ると寮が遠いので23時を過ぎてしまい寮の飯を食うことが出来ない。

そんな遠くて寒い寮(今日の最低気温-4.6℃)とも1月中旬にお別れすることが決まった。

今朝、転寮の抽選があり、会社の近くの寮に引っ越すことが決まった。

会社から3~4km離れた寮で自転車通勤を始めることになる予定。

そんなこんなで朝から少しテンションが上がっている土曜日なのだ。

冷静に考えると転勤族でもないのに、入社から一年で何度引越しすれば気が済むのか。

実家(三重)→名古屋(愛知)→藤沢(神奈川)→三田(兵庫)→伊丹(兵庫)。

一年で4回も引越しするなんて25年間一度も家から出なかった私からは想像出来ない。

次に引越しするのは、結婚する時or32歳で寮から追い出される年齢になるかのどちらかのつもりである。

結婚できて寮を出れたらいいのになぁと思い、サンタにお願いしてみる。(矛盾)

まぁ、何が起こるかわからないので、いつの間にか気付けば名古屋に逆戻りという可能性も否定できない。

伊丹に引っ越して空港が近くなって、ぶらっと飛行機旅行なんていう夢の生活をしてみたい。(完全に夢)

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2011年12月18日(日)

昨日の午後あたりから部屋の空調の調子がおかしい。

暖房を付けてしばらくするとエラーコードが出て、暖気が出ていないのである。

夕方に事務所に確認してもらうと何とか動作し昨夜は風呂上りでも暖かい部屋にいることが出来た。

直ったかなと思ったのだが、今日の午前中からまたおかしくなってきて、今やただ風を送る装置である。

現時刻は21時半だが、部屋の中でダウンを着て過ごしている。

こんな壊れるエアコン作ったメーカの顔が見てみたいものだ。

まぁ、嫌でも明日の朝にはその会社に乗り込んでデスクに座っているだろう。(笑)

働いていても自社製品を自分で修理出来ない不甲斐なさを感じている。

会社の研修でいくらパワエレを学んでも、エアコンの出すパワーモジュールの異常はどうすることも出来ないのだ。

仕方ないので明日朝一番で寮の事務所に頼んで修理してもらうことにしよう。

一ヶ月後には転寮するつもりなのに、今になってこんなことになるとは思いもしなかった。

壊れるならもう少し暖かい時期を選んで壊れて欲しいものだ。

エアコンが壊れているので寒い寮に帰りたくないとかで会社で仕事をし続けるのも嫌だな。

明日の帰宅時には修理が完了していることを期待する。

転寮先の部屋のエアコンも壊れているとかいうことは無いと信じたい。(ネタふり?)

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2011年12月24日(土)

クリスマスイブの今日は、街中の雰囲気が少し違う。

いつものように昼飯を買いにイオンに行っても、やたらと骨の付いた鶏肉を売っている。

おかげでほうれん草と卵の炒め物という惣菜が売っておらず、何だか緑が物足りない昼食になってしまった。

寮ですれ違った人の中には、小さな宝石店の袋を持っている者もいた。

これからどこへ行くのかとふと頭で考えようとしたが、フェールセーフの機能で思考が停止した。

ただ彼は誰かにその宝石らしきものを渡すためにわざわざ店に行って金を払ったという事実だけが残った。

昨年の今頃の記憶は無いが、同じようなことをしていたような気がする。

人間は受け入れられない事実が大きすぎると、記憶から消してしまうので仕方ない。(笑)

今日は都会へ行かず、残り少ない山間の小都市三田で一人静かな生活をすることにしようと脳が決定していた。

家にいても暇なので、最寄の映画館でも行こうと思っているのだが、見る映画は選ばなければならない。

恋愛系の映画は気分的にアウトなので、ミッションインポッシブルあたりを見るのがいいかな。(やや危うい)

レイトショーに山本五十六があれば、絶対に山本五十六を見に行くのになぁ。(こんな日こそ大日本帝国)

長々とわけのわからんことを書いているが、結局のところ寂しいわけである。

2002年のクリスマスイブの日記にも、わけのわからんことを書いているのを見ると竹バイクには人間的な成長が無いようだ。

サンタさん、明日朝起きたら枕元にきれいな女の人を用意しておいてください。(笑)

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2011年12月31日(土)

大晦日、2011年も今日でおしまいである。

今年を振り返ると、やはり3/13の東日本大震災を外すことは出来ない。

地震発生時に私は上海にいたため、僅かな情報は得ていたもののそこまで甚大な被害があるなんて知る由も無かった。

その後の原発事故に関して、日本政府、東京電力の緊急時に対する脆弱性をまざまざと見せつけられた。

メディアによる原発の危険性の誇張により、全国で原発反対の動きが起こり、東日本から遠く離れた関西でも電力削減が強いられた。

電力削減は大工場を持つ自動車関連企業にも影響を及ぼし休日を増やして生産活動を抑制するなど経済活動にも大きな影響を与えた。

回復の兆しを見せかけていた日本経済は、突然起こった不可避な地震によって崩れていった。

それでも逆境に強い日本人は一致団結し、世界からの支援を受けながら地震からの復興へ歩み始めた。

地震の影響が少し落ち着き、日本経済も少しずつ立ち直ってきたと感じ始めた時の欧州経済を揺るがすギリシャ危機。

働かないギリシャ人が暴動を起こし、経済活動が回らなくなるデフォルトになれば世界同時不況に陥る可能性があった。

何とかデフォルトは避けられたものの、ユーロとドルへの信用が無い世界は地震で被害を受けた日本という国の通貨に流れ、円高が進む。

輸出で経済が成り立っている日本には円高の分だけ利益が減少し、厳しい活動を余儀なくされた。

極度の円高にも対応し始めたと思えば日本企業が多く進出するタイで洪水が発生し、多くのメーカーが被害を受けた。

中国経済の加速度が鈍り始め、今日は1ユーロが10年ぶりに100円を切るニュースが飛び込んできた。

日本経済が二重三重の窮地に陥ったこんな年に社会人となり、私の今後の人生において記憶に残る一年になるのは間違いないだろう。

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