神戸ポートタワー

日記2008 1-6月

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2008年1月1日(火)

あけましておめでとうございます。

「朝起きる」という今年の目標は達成されました。(えっ!元旦だけですか!?)

窓の外を見ると路上に小麦粉が撒かれていました。

...本当は雪です。(何故そんな嘘つくの!)

竹バイク年始早々滑る。

ギャグが「滑る」と雪で「滑る」を掛けたんですよ。(汗)

きっと院試も...。(鬱)

元旦から自虐的ギャグが冴え渡っております。

今年最大のイベントは北京オリンピックでしょう。

どれだけの選手が原因不明の体調不良を起こすかを争う大会です。

どの国際大会でも体調不良を理由に結果を出せない日本柔道陣に大きな期待がかかっています。

また高校野球では三重県代表の10年連続初戦敗退がかかっている。

きっと期待を裏切らず負けてくれることでしょう。

今年も気合を入れずにHPを更新していきますのでよろしくお願いいたします。

嗚呼、プレゼンどうしようかなぁ...。(悩みは尽きない)

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2008年1月11日(金)

昨日、実験のレポート提出&プレゼンテーションに行きました。

教授が怖いので自分なりにちゃんとやって行きました。

その結果、・・・撃沈...。

プレゼン中に突っ込まれて頭が混乱...。

「お前の理論はそこで破綻している」と言われ鼻をへし折られる。

「理論の破綻したプレゼンなんて聞いても仕方ない」と言われ昇天。

竹バイクの精神状態はconfusion、だんだん目の前が真っ白になってきた。(事実)

耳鳴りがして立っていられなくなり机にもたれる。

暑くもない教室で大粒の汗が体から噴出す。

教授のお話は聞こうとしても何も聞こえず意識が朦朧としてきた。

なんとかその場を乗り切って違うプレゼンを始めたがグダグダ。

レポート再提出で地獄の日々は終わることはない...。

緊張、興奮、天狗討伐、不受理の衝撃が重なると人間はあんなにも脆いのか。(天狗討伐=鼻を折る)

人前で自分の心身の危機を感じたのは初めてです...。

あのサディストは僕にプレゼンの恐ろしさを教えてくれました。

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2008年1月12日(土)

今日、研究室が決定しました。

機械系各学科上位25人つまり計50人に研究室配属の優先権-通称「赤紙」-が与えられていました。

優先権と言っても全員が希望の研究室にいけるわけではない。

赤紙枠は各研究室に6枠、それを超えると抽選となる。

私の選んだ研究室は50人中11人が志望し、大人気...。(鬱)

このときは成績順に選ばせてくれとかなり思いました。

抽選方法は赤紙を適当に並べて、教授が当選6枚を選ぶ形で行なわれた。

確率は半々、心臓の鼓動はその勢いを増していく。

6枚を選んでいる時の教授の楽しそうなこと...。(選ぶほうは気が楽でいいですね)

その結果、なんとか6名の中に入れました。

自分の名前が呼ばれた時は思わず声が出ました。(体裁関係なし)

第2希望の研究室も一杯だったので外れていたらやばかった...。

因みに私にプレゼンをさせた教授のところを第一志望にしている人はいなかった。

研究力、権力、金があっても毎週Aレポートかと思うと生命の危機を感じざるを得ないですからね。(笑)

最近、感情の起伏が激しくなる出来事があり過ぎて大変です。

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2008年1月23日(水)

幸せすぎる。

やっと今日、実験レポートが終わった。

一ヶ月半の長い戦いに終止符が打たれた。

昨日から補講期間なのですが間近に迫った試験なんてそっちのけで先生にレポートを出しに行きました。

昨日は一日中先生に付き纏っていました...。

エレベータ前で出待ちをしたのは人生初めての経験です。(アイドル並みの人気)

昨日だけで4回提出に行きましたからね。(笑)

今日も朝から先生を探して、なんとか受け取ってもらいました。

レポート提出は何をしてきたかを口頭で説明する形式なのでレポートの中身はほとんど見られない。

私の場合、約50枚のレポートの中身を全く見ずに受け取りになりました。(中身に興味は無いらしい)

レポート提出後、世界へ羽ばたくためのレクチャーを受ける。(世界再び)

コーネル大学等に行った先輩方の面白い話を教えていただきました。

できる奴には難しい課題をできない奴にもそれなりの課題を課す先生の教育方針は力をつけるには最適だと思う。

その課題をやってる最中は地獄の日々ですけどね。

今年もこんな地獄(天国)があることも知らずに定員90人の学科に一般入試で2000人以上が受験するらしいです。

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2008年1月25日(金)

今日、センバツの出場校の発表がありました。

夏の甲子園9年連続初戦敗退、センバツ5年連続不出場の三重県は選ばれたのか。

なんと東海大会で一勝も出来なかった宇治山田商業が選出されました。

これは奇跡です。

元々、東海枠は2.5枠で、0.5枠は北信越(同じく2.5枠)に流れる可能性もある。

東海王者常葉菊川が神宮大会を制し、神宮枠1枠を獲得し東海枠は3.5になった。

人口と実力から考えて元の5枠を東海3、北信越2で分けるのが普通である。

神宮枠を入れて東海4、北信越2と予想していた。

問題は東海大会の準決勝が両試合ともコールドであったこと...。

敗者は常葉橘、三重高校であった。

東海4枠の場合、両校の出場で決まりだろうと大方は予想していた。(地域性から市立岐阜商業の目もあったが...)

3枠の場合、常葉学園を2校出場させるのは抵抗があるため地域性等を考えて三重高校が有力視されていた。

現実は東海、北信越ともに3枠となり、それとは別に21世紀枠で愛知の成章が選ばれた。

そして東海の3枠目に準決勝敗退の2校を差し置いて東海大会で一勝もしていない山商が選ばれたのである。

山商出身の野口みずきが頑張っていることくらいしか選考理由が見当たらない...。

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2008年2月19日(火)

先日、研究室の詳しい説明会に行きました。

会場に着いて思ったことは「人数多すぎ!」。

新しく研究室に入る学部生が23人って...。

もともと17人の予定だったのだが、一人教授が増えて学生6人増加。

したがって私の所属する研究室は教授×3という状況である。

旧帝大等の国立大学なら一つの研究室に教授、准教授、助教授が存在する場合が多い。

しかし教授、教授、教授の三連荘は非常に珍しいのではないだろうか。

また新しく来た教授のプロフィールを密かに調べてみると一昨年まで京大の教授だったみたいです。(COE付)

非常にややこしい事態になってますね。

原因は組織改変などの経営戦略を進めることで内部で混乱が生じたことにある。

今回の場合、生命医科学部を新設し、工学部を理工学部にした際に工学部の一部研究室が生命医科学部に流れた事が主な原因である。

来年からは私の所属する研究室は院生、学部生合わせて50人体制です。(笑)

教員一人あたりの学生数という点で国立理系が羨ましい。

文科省はもう少し私大にお金(科研費等)をください。

しかし国立大学のボロボロの教室を見ると仕方ないかと思ってしまうのは何故だろうか。

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2008年2月20日(水)

東芝がHD DVD事業から撤退した。

HD DVDでもBlu-ray Discでも原始人竹バイクには何にも関係無いです。

それより東芝が新たにフラッシュメモリーの工場を2棟新設することを決定したことの方が興味深い。

選択と集中が最近の電機業界のキーワードですね。

四日市市(三重)と北上市(岩手)に工場を建てるらしい。

投資額は両工場合わせて1兆7000億とか...。

正式発表後の岩手県の盛り上がりが凄い。

「雇用拡大」「地域経済活性化」などの文字が躍っている。

確かに投資額は凄いが本当にそこまで地域に影響を及ぼすのか。

この発表に対する三重県の反応を見れば答えは明らかである。

ここ数年、シャープ、富士通、東芝が数兆円の投資をして三重県に工場を建設。

三重県の経済成長率(実質)は3年連続日本一。(多分)

県民一人あたりの所得は大阪府を抜いて全国8位。

しかし実際の県民の生活が豊かになったとは言い難い。

期待すると後でショックを受けると岩手の皆さんに言ってあげましょう。

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2008年3月2日(日)

いつのまにか3月ですよ。

最近、運動不足で太り気味の竹バイクです。

スギ花粉が飛散し始めたようで少し目が痒い。

まだ本格的な飛散ではないので余裕ですが、3月下旬から4月上旬の最盛期はまさに地獄です。

日本中のスギとヒノキを全て切り倒して割り箸にしてしまえばいいのに...。

我が家の庭にはスギがあるが、花粉が飛ばないようにしてあるらしい。(詳しい事は知らん)

小学生の頃、そのスギの表皮を剥いだことがあった。

翌春、そのスギは飛ぶはずの無い花粉を飛ばしたのだ。

表皮を剥がれたことに生命の危機を感じ、種の保存のために花粉を飛ばしたのだろう。

猛暑の翌年には花粉が大量飛散するのと同じですね。

逆に考えるとスギを甘やかすと、種の保存を忘れて花粉を飛ばさないのでは...。(単純)

今年からは全国のスギさんにやさしくしてあげましょう。(意味が違うような)

人間も所詮は生物ですから種の保存を目的に生きているわけですね。

先進国の出生率が低いのは生活しやすい環境のもとで生きているからなんでしょうね。

そう考えると橋下大阪府知事は厳しい環境で育たんでしょうね。(笑)

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2008年3月15日(土)

3/11~3/14の日程で唐人さんと香港に行きました。

初めての海外旅行だったので不安でしたが無事旅行を終え帰国しました。

H.I.S.の34,800円の香港旅行。(安いですよ)

燃料サーチャージ、空港使用料等の諸経費を足しても50,000円ちょっとの格安ツアー。

航空会社がキャセイパシフィックだと5,000円高くなるのでチャイナエアライン(中華航空)にしました。

チャイナエアラインと言えば昨年那覇空港で着陸後機体が真っ二つに割れて炎上したあの航空会社です。(笑)

それも台北で乗り継いで香港に行くので墜落の確率は直行便の2倍です。

危険だろうと5,000円安い方が良いという考えでチャイナエアラインに決定しました。

旅行の概要を説明すると一日目は中部国際空港から台湾経由で香港に移動。

二日目は現地乗務員さん付きのバスで観光とショッピング。

三日目は終日自由行動。

四日目は香港から台湾経由で中部国際空港へ戻る。

ホテルは香港郊外にあるパンダホテル。

出発前、期待と不安が混在する心で旅行の準備をする竹バイクでした。

(つづく)

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2008年3月16日(日)

3/11 香港出発の日。

唐人さんのアパートから中部国際空港へと向かう。

名鉄で知多半島を走っているとIHI(旧石川島播磨)の工場が見える。

中部国際空港駅に到着後、旅行会社の窓口に行き航空券の引換券のようなものをもらう。

海外旅行保険に入るために保険の窓口に行って約5,000円払う。

旅行の申し込みの時に保険に加入していれば3,000円くらいで済んだのに...。(教訓)

航空会社のチェックイン、出国審査を抜けて搭乗口へ。

香港$を全く持っていないのも不安なのでトラベレックスという両替屋で約10,000円を両替して650香港$にする。

飛行場での両替レートは悪いと聞いていたがそのときはそのレートがどれだけ損かはわからなかった。

20,000円以上両替する人が多く、多めに替えといた方がいいのかと思ったが予定通り10,000円両替した。

両替を終え搭乗口で待っていると怪しい外国人が近づいてきて私に何か話し掛けてきた。

changeとか言って500円玉を差し出していたから両替がして欲しかったのだろうけど怪しげなので「NO!」の一言。

私はNOと言える日本人です。(英語がちゃんとわからなかっただけ...)

こうしてCI(チャイナエアライン)151便に乗り込み台北へと向かうのでありました。

(つづく)

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2008年3月18日(火)

3/11 香港到着。

CI151に乗り込み台北に向かう。

機内食はチキンとパスタ。(普通)

台北到着後、乗り継ぎのため待合室にいると明らかに先ほどと雰囲気が違う。

日本人が明らかに少ない...。(当たり前と言えば当たり前ですが...)

CI679で香港に向かう。

機内食におでんのような不思議な匂いのものが出てくる。(厚揚げも入っている)

台湾の味を堪能しながら香港に到着、現地係員の人と合流しマイクロバスでホテルに向かう。

バスの中で現地のガイドさんが両替をしてくれると言う。

レートは10,000円で715香港$...。

中部国際空港では10,000円で650香港$でしたから空港でかなり損したわけですね。(教訓)

私たちの泊まるホテルは郊外の●湾(TSUEN WAN)にあるPANDA HOTEL。(●は草かんむりに全)

PANDA HOTEL

名前の通りホテルの外壁やロビーにパンダがいっぱいでした。

到着後、ホテル一階のセブンイレブンで水とお菓子を買って一日目は終了したのでした。

(セブンイレブンの恐ろしさを竹バイクたちはまだ知らない つづく)

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2008年3月19日(水)

3/12 観光ツアー。

この日はバスに乗って香港の観光名所を回りました。

香港時間7:30にホテルロビーに集合して、観光用バスで九龍方面へ。(香港時間=日本時間-1時間)

朝食は鮑粥と点心でクリーミーな鮑を堪能させていただきました。

その後、観光でビクトリアピークや淺水湾などを訪れました。

ビクトリアピークからの眺めは美しく、大都市香港が一望できました。

ビクトリアピーク

香港の建物は今でも竹を組んで作っているが、ガイドさん曰く四川の竹を使っているから安全らしい...。

鉄で足場を組んで安全性を僅かに増すより、経費を削減して儲けを増やす方が重要というのが香港人の考え方だそうだ。

香港人は何事にもスピードを求めるということで、ゆっくり本を読む習慣が無いので雑誌屋はあっても本屋は無い。

また無意味な笑顔はしないのでコンビニ等に行っても店員に笑顔は無い。

淺水湾には恋人ができる石なんかがありました。(当然触りますよ)

またジャッキーチェンの家が見えたりしました。

他にもいろいろありましたが中略...。

楽しい観光を終えて昼食の飲茶を食べる竹バイクでありました。

(午後からのショッピングの辛さを竹バイクはまだ知らない つづく)

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2008年3月20日(木)

3/12 ツアー後編。

午後からはショッピングという名の旅行会社の儲けを生み出すツアー。

宝石店、シルク店、漢方薬店を回った。

宝石なんて高価なものが買えるはずもなく...。

シルクのチャイナドレスを買っても着せる相手も無く...。

漢方薬店の強引な商売に素直に竹バイクが従うはずもなく...。

おばちゃん連中ならその手の店で大量購入するのだろうけど、同じツアーの人間は大学生がほとんどでしたから...。

その後、免税店に行って解散となりました。

私たちは夜のオプショナルツアーを申し込んでいました。

オープントップバスで女人街に行き、ヴィクトリアハーバーでディナークルーズを楽しむツアー。

オープントップバス

女人街は香港の地元の人の繁華街という感じでネオン煌く街中に屋台が並びスリが多発する。(ある意味危険)

矢鱈と目に付くセブンイレブンと日本料理店...。(香港のコンビニのほとんどがセブンイレブンです)

二階建てバスの天井を取り除いたオープントップバスに乗って移動し、クルーズへと出発。

香港の美しい夜景とバイキング形式のディナーとディナーショーにお腹も心もいっぱいになった竹バイクでした。

(つづく)

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2008年3月21日(金)

3/13 終日自由行動(1)。

この日は終日自由行動だったのでホテルを出て地下鉄に乗って繁華街へGO。

地下鉄一日乗り放題券(50香港$)は旅行者にはかなりお得です。

地下鉄の乗り換えも日本より簡単でスムーズに銅鑼湾駅まで行くことが出来た。

駅を出て近くのマクドナルドでフィレオフィッシュセットを食べる。

マクドナルドで日本と違うのはストローを各自取ることくらいかな。

その後、少し道に迷うがなんとか自分達の現在地を把握して一安心。

正午に毎日撃たれる空砲(午砲)を見に行った。

しかし地図に書かれている道が無いため道の向こう側にある大砲にたどり着けない。

仕方なく世界貿易センターの人に道を尋ねると、センターの地下駐車場を指差した。

おかしいなと思いながらも行ってみると、細い地下道を通って大砲のあるところへ出ることが出来た。

この場所がわかった人は少ないらしく数人の観光客が大砲のところにいた。

空砲といっても大砲の音は凄まじく、驚き以外の表現が思いつかない。

午砲

その後、ビクトリアパークで都会のオアシスを体感した後、地下鉄で尖沙咀に向かうのでありました。

(つづく)

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2008年3月22日(土)

3/13 終日自由行動(2)。

地下鉄で九龍の繁華街尖沙咀に行きました。

この辺りは高級ホテルからあやしい店までなんでもあるまさに繁華街。

どの通りも人でいっぱいで、世界都市香港を象徴するように人種の隔たり無く人々が存在する。

言っていませんでしたが、香港は信号無視が基本なので危なくなければ道路は横断できます。

ともかく我々はまずブルースリー等のスターの像や手形などがあるアベニューオブスターズに行きました。

他の観光客と同様に記念撮影等をして楽しみました。

ブルースリー

香港文化中心に到着後、昼飯をどこで食うかという問題が発生。

偶然、香港文化中心内に映月樓という店があることがガイドブックに載っていたので行ってみることに...。

拙い英語でなんとか飯を食う事ができました。(単語を並べればそれでいい)

燕の巣の乗ったエッグタルトとかフカヒレ入りスープ餃子等を食べました。

でも海老が一番美味かった...。(高級食材より普通のものが美味い)

昼食後、九龍公園で再び都会のオアシスを体感し、土産を探しに行きました。

いろいろ見てみたものの結局、免税店でチョコなど定番のお土産を購入し地下鉄でホテルに帰りました。

(つづく)

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2008年3月24日(月)

3/14 帰国。

旅行最終日、この日は香港から日本に帰るだけです。

香港時間9:30にホテルをチェックアウトして、マクドナルドで朝食。

11:10頃、ホテルロビーに迎えが来て空港までバスで送ってもらう。

帰りも行きと同様台北経由で中部国際空港に帰ります。

台北行きの飛行機の待ち時間に余った香港$を使って免税店でお買い物。

何事も無く台北に到着。

乗り継ぎの移動中にちらっと見えたテレビでは相撲中継が放送されている。

名古屋行きの飛行機の待合室にいるのも日本人と台湾人がほとんどであった。

無事に帰国できるかと思いきや、飛行機の出発直前に客室乗務員が慌てだした。

乗客のパスポートが盗難されて、その乗客の席に関係ない人が座っているというハプニング。

かなり大変だったみたいです。(その後どうなったかは知らない)

日本到着後、入国手続きで列に並んでいると横の列にT高校の同級生2人がいるではありませんか。(ハプニング)

彼らはオーストラリアに行ってたらしいです。

旧友との邂逅という意外なオチで竹バイクの初めての海外旅行レポートを終わりにしたいと思います。(終)

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2008年3月26日(水)

一昨日、成績、シラバス、登録要項等を受け取りに大学に行った。

成績評価が全てAという笑い話。

GPA4.0って小学校の「たいへんよくできました」みたいな感じがしてなんか悲しい...。

制御工学Ⅱなんか大問3問中1問白紙ですから成績が良いわけがない。

大学の評価は絶対評価というが今回は明らかに下駄を履かせた相対評価。

他の人のテストの出来が私の予想以上に悪いのでしょう。

今回は留年しかけていた人が首の皮一枚で助かった話を聞く。

これらのことから考えると留年率を下げたかったのだろうという結論に至る。

全国2位の留年率を誇る工学部の中で一際高い留年率をたたき出している機械系。

文科省から再三留年率を下げるよう注意されながらも無視していた。

大学内の組織改変で工学部が理工学部となったのを機に改革に乗り出したのか?...否。

工学部の場合、在学生の半分が一般入試の学生でそれ以外が推薦等。

理工学部になって各学科の定員が減少したが推薦での入学者を減らせなかった...。(機械系定員240人→160人&一般入試実質倍率2.3→5.0)

学業とは無縁だった人間の割合が増加する事でこのままでは留年率が増加する→成績評価を甘くして現状維持を目指すというのが実際のところだろう。

こんなことを考えると良い成績でも素直に喜ぶことが出来ない。

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2008年3月28日(金)

センバツで宇治山田商業が勝ちました。

センバツでの三重県代表の勝利は2002年以来です。(2003年から今大会まで不出場)

勝ったものの、あんな試合をしていては次戦で智弁に虐殺されます。

ウィークポイントを挙げるときりが無い。

1.立ち上がりの悪さ。

三重県代表の試合序盤の特徴として、投手が四死球を連発or内野がエラー連発...そして自滅。

2.監督の采配。

解説者をも困らせる理由のわからない指示の数々。

昨日の試合で言うと、ありえないタイミングでのエンドラン、4番にスリーバント→バント失敗。

監督自体はベンチで座っていて、負けてても笑っている。

3.宇治山田商業の弱点として貧打。

打力が無い貧打に加えて、最悪なことに頭を使って打つことも出来ないらしい。

昨日の試合でアウトの半分がフライ、内野のエラーが多いチームを相手にゴロを打たないなんて愚策としか...。

常葉菊川の試合を見て凄いなと感心するより、山商は今治西や熊工あたりの野球を学ぶべきである。

勝利監督インタビューを見ていてあの監督では勝てないと思ったので選手の皆さん監督を無視して頑張ってください。(笑)

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2008年4月1日(火)

4月1日、新生活の始まりという人も多いのではないでしょうか。

こんな入学式の日に健康診断があるなんて...。

これから一週間はサークルの勧誘でキャンパスが騒がしくなる。

健康診断の結果を言うと身長が170.0cmになった。

去年、169.9cmだったので0.1cm伸びました。(この0.1cmは大きい)

健康診断を終えて、担当教授のところに仮成績ランキングを聞きに行った。

正式決定のランキングではないが、ほぼこれで決まりのランキングです。

機械系2学科(機械システム工学科、エネルギー機械工学科)250数名の中で何位かがわかるわけです。

首席だったらどうしようなんて甘い期待で胸を膨らませながら教授のところに行きました。

「2位」って言われました。(...微妙)

俺より上がいたことにある意味安心を覚えると同時に悔しさがこみ上げてくる。

卒業までに1位の奴の顔を拝んでおきたい。

冷静に考えてみると、1つ下の学年で滑り止めに受けた大学の上位で喜んでいる場合じゃない。

奢らず真面目に生活します。

エイプリルフールですから170cmも2位も嘘かもしれません。(笑)

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2008年4月12日(土)

ほとんど授業をとっていないのでかなり暇です。

他の研究室では学部生も研究が始まっているというのにうちの研究室はまだ何も決まっていない。

大学に用も無く行っているとなんだか虚しくなってくる。

プロ野球中継をつけると友人(桑原謙)が全国放送でドアップで映っている。(数日前の巨人戦で中継ぎ登板)

自分の友人と高橋由信が対決するという想像し難い事実が目の前にある。

今日も阪神戦の8回に投げてました。

そういう頑張っている姿を見ると、自分が時間を持て余していることにかなりの不安を覚える。

昨日、某京大名誉教授に解析力学くらい勉強しとけと怒られたので余っている時間を使って勉強したいと思います。(素直)

他大学院の受験を諦めたため勉強に関して努力しなくなってしまった...。(デススパイラルの入口)

こんなときに限って同志社の院試が一ヶ月以上前倒しになり阪大と試験日程がかぶらなくなるという事実を知る。

しかしもう既に大学院の推薦の判子をもらっているので潔く諦めます。

人生では引き際も大切だということは痛いほど知っている。

冷静に判断する事ほど難しい事はない。

人に認められなくても努力すればいつかは報われると信じたい。

でも人生で一度くらい全国放送に出てみたいものだ。(映像が耐えられるかどうかは別にして...)

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2008年4月17日(木)

やっと研究内容が決まりました。

これで暇な生活から解放されると思いきや、まだ本格的には始めないそうでしばらく暇な生活が続きそう。

研究内容を外部に漏らすと怒られそうなのですが、リスクを負って発表します。(無意味なリスク)

研究内容は「手」です。

数ヶ月以内に私と会った人はこれで何の研究か大体予想がつくでしょう。

大学や企業にリンクを張ればすぐにどんな研究かはわかりますが、色んな意味で危険なのでやめときます。

うちの研究室はM2の下に大学院進学予定のB4が付きます。

それで研究を継承していくスタイルです。(どこでも同じか?)

そんなことより「手」って何やねんという方に特別にお教えいたしましょう。

あのYouTubeにわかりやすい動画がありました。

(Click here)(Youtubeに飛びます)

これで何の研究をするかわかったでしょ。

このまま行くと2年後くらいに私の素顔がYouTubeに曝される恐れがあります。

個人的にはYouTubeより一般のテレビに出たい。(4/12の日記)

それまでにテレビに耐えられる顔になる努力をします。(間違った努力)

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2008年5月2日(金)

日本のサッカーの話をしたいと思う。

オシムが元気だったらとか浦和はやはり強かったとかいう話題ではない。

何かというとJFLの下のお話である。

日本サッカーをピラミッド型に描くとJ1を頂点としJ2、jFL、地域リーグ、都道府県リーグ...という構造になる。

Jリーグ(J1&J2)はテレビでも試合結果が伝えられるのでチーム名だけでも知っているところが多い。

JFLになるとチーム名すら知らない方が多いと思う。

FC琉球くらいはトルシエの話題でニュースになったから知っている人もいるかもしれない。

いずれにせよJFLでさえそのくらいの知名度なのだからその下の地域リーグなんて...。

なぜそのレベルの話をするかというと三重県のクラブチームの一番上が地域リーグだからです。(哀)

三重県が属する東海社会人リーグは愛知岐阜三重静岡の4県で構成されている。

J2で活躍するFC岐阜も2年前までこのリーグに所属していました。

今や東海地方でJのチームがないのは三重県だけになってしまったわけです。

東海1部にマインドハウス四日市、2部にホンダスズカ、ランポーレ、kmew伊賀の計4チームがある。

しかし目立って強いチームがなく、三重県社会人選手権では県リーグ1部の伊勢ペルソナが優勝してしまう始末。

三重県には永遠にJリーグに参加するチームは現れないのだろうか。(明日に続く)

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2008年5月3日(土)

昨日に引き続きしょぼい三重県のサッカーを考えます。

前述の通りマインドハウス四日市、ホンダスズカ、ランポーレ、kmew伊賀が東海社会人リーグに所属しています。

ホームタウンはそれぞれ四日市市、鈴鹿市、名張市、伊賀市です。

ランポーレを除くチームはチーム名の通り企業がバックアップしています。

ホンダ鈴鹿は野球のイメージが強すぎてサッカーは中途半端ですね。(昨年東海1部から降格)

マインドハウス四日市は企業の知名度がないのでこれから強化は難しいか。

kmew伊賀は伊賀フットボールクラブのチームらしいが、この組織は日本女子サッカーリーグ1部の伊賀FCに金を使うでしょうから...。

そういうことで竹バイクはランポーレに期待しているわけです。

今年も多くの補強を行なって強化を図っているようです。

しかしランポーレには大きな問題がある。

ホームタウンが三重県の僻地のために県営の競技場などは無くホームグランドと呼べるものが存在しない。

赤福のようなサッカー場を何個も作る力のある企業もない。(赤福が伊勢にサッカー場7面を整備する計画)

各チームに様々な問題があるため恐らく飛びぬけて強いチームは簡単には出て来ないと思われます。

この2日間の日記で県庁所在地の名前が一度も出なかったことを考えても分散型の県であることが問題のひとつかもしれない。

三重県は熊本県より人口が多いが、各県の最大都市を比べると熊本市には四日市市の2倍以上の人口がいるといえば分かってもらえるだろうか。(ロアッソ熊本が今年からJ2)

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2008年5月15日(木)

三重県の話題だけでは面白くないので奈良県の話を今日はしよう。

奈良といえば天理教、鹿の糞、せんとくんですね。

奈良県の最大の特徴は鹿が住むところはあるが人がすむところが非常に少ないということだろう。

可住地面積が全国最下位。(参考

人口は28位と多いわけではないが1920年の国勢調査では46位だったことを考えると急激に人口が増えたことがわかる。(参考

原因は小学校の社会で習ったドーナツ化現象。

大阪から住むところを求めて人が大量に流入したわけですね。

そのためにこんなことになってしまった。

人が住める土地が足らず奈良県を飛び越えて三重県にまで大阪のベッドタウンが存在するありさま。

奈良県は現在では滋賀に人を奪われ数年後には滋賀県に人口で抜かれることがほぼ決定的。

地面を掘り返せば遺跡が出てきて学術調査のために工事は延期される。

平坦な土地が少ないため地価は高くなり、大規模工場は進出して来ない。

奈良県の製造品出荷額は四日市市1市より少ない。(因みに三重県は豊田市1市より少ない)

大阪のベットタウンばかりなので昼間人口と卸売販売額が異常に少ない。(参考

海を見るとやたらとテンションがあがるという点では奈良県民と同じだなと思う竹バイクでした。(10回も海を見たことがない...)

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2008年5月23日(金)

平日ですが密かに春季高校野球東海大会が行なわれました。

三重県代表は菰野高校と上野高校が代表。(こんな代表でいいのか...)

菰野はともかく上野って何...。

宇治山田商業はどうしたのか...。

三重県大会準決勝で野球に関しては無名の上野高校に負けたらしい。

そしてその上野高校がやらかした。

常葉橘に20-0で負けたらしい。

でもそんな高校が代表になる現実が三重県にはある。

菰野、上野も山間部の気候の厳しいところである。

県民性チェックみたいな本を読むと伊勢平野の人は温暖な気候のせいで穏やかな性格らしい。

それでは一発勝負のスポーツの世界では勝てません。

松阪牛、伊勢海老等の食材の宝庫、大企業の工場が大量進出する工業県、温暖な気候、大都市近郊という恵まれた環境。(ハングリー精神の欠如)

分散型の県でまとまりが無く、リーダー不在という最悪のケースが三重です。

頭に出てくる言葉をやたらめったら書いていたら悲しくなってきた。

三重県なんか南米人で埋め尽くされて県丸ごと巨大なスラムになれと思う竹バイクでした。(取り乱してすいません)

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2008年5月31日(土)

昨日、ようやく企業と研究の打ち合わせができた。

これでやっと研究が始められる。

...と言いたいが電子機械の知識がほとんどない。(基本がなってない)

打ち合わせはその場に居るだけで、全て先輩まかせです。

経験が全てらしいので徐々に慣れていくしかないです。

4、5月は一体何をしていたのだろうか。

英語の論文を読んでPowerPointを使って発表するという英書講読の授業で手一杯でした。

発表はなんとかしましたが、その後の質疑応答で先輩方にこてんぱんにされました。

それ以外にしていたことはMATLAB/Simulinkの使い方を覚えていたくらいです。

現在はSimulinkで描かれたコントローラ等のブロック線図を理解しようと努力してます。

それはともかく学部生の部屋が狭くてPC環境も悪いという問題はどうにかならないのか...。

それが嫌で竹バイクは学部部屋から逃げ出して、院生の部屋の実験用の良いPCで遊んでいる。

そのため学部部屋に行くことが少なく未だに同じ学部生で顔と名前が一致しない人が...。(このままではアカン)

院生部屋に馴染み過ぎて、学部生から院生と間違われて敬語で話されました。(涙)

飲み会に俺だけ呼ばれていないという事件が起こる前に学部の輪に入ろうと思う竹バイクでした。

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2008年6月5日(木)

梅雨ですね。

大学院入試の願書を手に入れたが、勉強する気は全く起こらない。

奨学金のために数学だけは頑張ろうと思う。

話変わってプロ野球交流戦。

我がヤクルトは交流戦で巻き返すはずだったのに...。

ヤクルトの話はさておき、ヤクルトより弱い球団所属の友人の話をしよう。

昨日、桑原(謙)が初めて先発で登板しました。(祝)

恐怖の西武打線相手に5回2失点ならまぁまぁでしょう。

石井(一)から点を取れない横浜打線にがっかりです。

結果、負け投手になったものの今の横浜投手陣を考えれば合格ですね。

弱小球団だからこそルーキーで1軍の試合に出ることができる。

巨人なんて入ったらどんなに優れた選手でもルーキーで1軍定着は難しい。

プロを目指す人たちは強い球団に行きたがるが、それが本当にその人たちにとって最良の選択だったかはわからない。

竹バイクの持論では1軍戦に出る(注目される)ことで選手は伸びる。

だから弱小燕軍団に慈悲でもなんでもいいから入ってくれませんか...。(涙)

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2008年6月12日(木)

コンプレックスとどう付き合うか。

誰でも何かしらのコンプレックスはあると思う。

容姿、性格、学歴、育った環境etc...。

コンプレックスで悩み人を殺すかコンプレックスをバネに成長するか。

一般的に後者でありたいと思うが、ストレスという魔物は時として人をありえない方向へ導く。

心が気付いていなくとも体が危険のサインを出している。(知らぬ間に大きな丸いハゲ)

理想(思い込み)から自分が離れれば離れるほど悩み苦しみ、負のスパイラルに陥る。

自分が自分であることを示すために、言い換えればアイデンティティーの喪失を恐れるために人と違う行動をとる。

その行動は多くの場合は自分にとってマイナスの効果しか生まない。

そのことに気付くのは過去の自分を冷静に見れるようになってからですが...。

冷静な自分を取り戻しても過去の時間は戻っては来ない。

だから過去のことで落ち込むより未来をどう生きるかの方が重要である。

考えてみれば、自分が知っている世界より知らない世界の方が多いのだ。

知らない道を躓きながら歩いて少しだけでも理想に近づけばいいじゃないか。

コンプレックスを包み込むだけの大きな心が必要なんだと思う今日この頃。(コンプレックスは捨ててはいけない)

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2008年6月14日(土)

先日、市販のサーボモータで遊んでいるとモータがおかしな音をたてて振動しました。

入力電圧2.5ボルトを境に正転、逆転するサーボモータです。

V=2.5sin(2*pi*t)+2.5で電圧を印加すると、期待通り正弦波に従ってモータが回転した。

モータ動作中に+2.5の部分を0-5Vに変化させたらどうなるか興味が湧いたので実際にやってみた。

出力電圧は5V以上にはならないので、安心して実験を行いました。

結果、電圧を上げても問題は無かったが0Vに変えた瞬間モータが机の上を音をたてて跳ねた。

アホな実験は予想外の結果を生みますね。(笑)

去年もこの時期にミニ四駆のモータで同じような事をした記憶が...。

確かスライダックトランスで0Vから徐々に電圧を上げていったらミニ四駆のモータが3Vあたりで急激に振動しだした。

こんなことをしながら制御解析ソフトなどの使い方を学んでいます。

実験するものはあるがセンサ等の選定、取り付けが終わっていないのでまだ本格的には始められない。

研究室に転がっているサーボモータやロータリーエンコーダで遊んでいるのは楽しくていいですよ。

時間が経つの忘れてしまうので帰宅がどんどん遅くなる。

これ以上遅くまで研究室に居ると夜の中国語の勉強に...。

どこかの漫画で見たあの透明の牌が研究室に置いてあります。(3/4が透明牌)

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2008年6月22日(日)

ロボットって一体なんなのだろうか。

ASIMOもロボットだが、溶接ロボットもロボットだ。

動くかどうかもわからない人間型物体までもロボットという場合がある...。

高校時代、ロボットの研究をしたいなと軽い気持ちで思った。

しかし、情報系にも機械系にもロボットの文字がある...。

どっちの学科が良いのか分からず両方学べそうな阪大応用理工学科を受験したが失敗。

情報のロボットは「人工知能」、機械のロボットは「機械システムの制御」を主としている。

簡単に言えば情報が「頭脳」をつくり、機械が「身体」をつくる。

全く異なるがどちらもロボットという。

そもそも日本人のロボットのイメージが先行し過ぎているのである。

アトム、ドラえもん、ガンダム...これらがロボットだと信じて疑わない。

2足歩行をするロボットが日本に多いのも、このことが大きく関わっている。

キャタピラのロボットはガンダムではなくガンタンクなのだ。(?)

ともかくイメージ先行型のロボットの世界ではASIMOが走ったくらいではダメなのです。

最先端のロボット技術を持つ日本であるが、その技術力は一般の日本人のロボットのイメージの一部すらカバーできないのが実際である。

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2008年6月28日(土)

木曜日、外相会合で厳重警戒中の京都市内にいました。

テロを起こしに行ったわけではありません。

二条城の近くにある共同研究先にアクチュエータをつくりに行ったんです。

二条駅を出ると駅前には異常な数の警察官が...。

大量の警察官を横目に共同研究先のベンチャー企業に向かいました。

4人中3人はアクチュエータを作ったことが無いので、糸の結び方から学ぶ。

釣りとか山登りをやってる人なら糸を結ぶのにも慣れているだろうが、不器用な竹バイクには...。

アクチュエータ製作初心者3人は3時間ずっと糸を結び続けました。

力の入れ具合や結び目の出っ張りまで考えて糸を結ぶことなんて人生であまりしてこなかったのでこれもいい経験か。

頭で考えなくても体が自然に動くようになったら職人らしいです。

職人になる頃には手の皮が異常に厚くなってしまうらしいですが...。

私たちが糸を結びつづけている間にM2の先輩(職人)が10個も完成品を作ってくれました。

手先が器用なことに損はないなぁと改めて思う。

結局、糸の結び方を学んだだけで次のステップには進めず再来月あたりにまた行くことになりそうです。

帰りにくら寿司で先輩方におごってもらい、その日の苦労もまぁいいかと思えた竹バイクでした。(食欲>疲労)

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