神戸ポートタワー

日記2003 1-6月

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2003年1月11日(土)

先日ニュースで北朝鮮の元軍人が語る日本上陸作戦とかをやっていました。

その元軍人曰く北海道から上陸して南下政策をとるそうでっせ。

そのために泳いで上陸してスキーの練習までしてるなんてソ連も考えなかったよ。

そのまま東京に向かい生物兵器を散布して一週間放置するそうです。

東京人は根性無いようように思うのは私の偏見ですが(東京在住の方すいません)それでもミサイルがまともに当たらない国が攻めて来れるとは思えない。

第一北朝鮮が核使う前に首相官邸から核ミサイルが平壌目指して飛んでるような気が...。

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2003年1月18日(土)

今日センター試験が行われたそうです。

受験者総数は60万人を超えていてそのうち10万人が国立大学生になる模様。

1年間の出生数は現在の高校3年生(17or18)で150万足らずといったところでしょう。

つまり単純計算で行くと国立大学生になる人間は15人に1人ということになる。

普通の中学校のクラスに2~3人いるってことになるんですよね。

こんな計算ばかりして大波のように押し寄せる試験の波に気付かない私がここにいる模様。

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2003年2月9日(日)

今日はN市近隣の市町村と合併するか否かを決める投票の日。

半分くらいコレでN市の未来が決まる(?)とか何とか。

政府の陰謀で行政単位を少なくして楽しようとしているだけなのにその魅力生も感じない誘惑に嵌ってにっちもさっちもどっちもブルドック。

ほんとまぁ~なんですなぁ~(by 桂小枝)こんな感じで合併しても我が市の有名人とかいうもんが増えるだけじゃん。

N市の場合合併することによって戦国時代の行政単位が復活するだけでしょ。ex)常陸,陸奥

あのころはふたりとも先のこと考えずゲリラ戦の無法地帯そして信長に攻められた。(梟の城参照)

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2003年2月23日(日)

1月の終盤から2月の中盤まで続いていた校外、校内模試の数々。

一日7時間半という長丁場のテスト。

週休二日なのに毎週のように校外模試にかりだされ問題集をやる時間もない。

気付けばもう1週間後には学年末考査ときたもんだ。

時間が全くといっていいほど足りない、あぁー神よ1日を36時間にしたまえ。

72時間働きますから神様仏様惨めな様どうか我に御加護を...。(モー娘の加護ではない)

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2003年3月2日(日)

国立大学の前期試験も終わり、その翌日の朝刊に京大阪大神大の入試問題が載っていました。

数学くらいといてみるかと思って阪大の数学に取り組んだのはいいけれどまったくわからないではないか!(汗汗)。

またその翌日の朝刊の問題で京大の数学を解いてみんとす。

できないだろうと踏んで取り組んだわけだが、なんとすらすら(嘘)解けるではないか。

何故だ何故なんだ(byS.T.)。

ここはひとつ一日で私の脳が飛躍的に進化(大いなる飛躍 by牛お神聖視)したと解釈しておこう。(プラス思考)

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2003年3月8日(日)

二月は逃げる三月は去ると言いますがほんまですなぁ~。

あっというまに気付いてみれば今日は三月の中旬に入らんとする日ではないではないか。

春は別れの季節であり、また出会いの季節でもある。

別れるのは辛いが、出会いは嬉しいという文句が世間一般では通ってるようですが、こんなもん通用するようになるのはもっと年老いてからじゃ。

何故だ何故なんだ(byS.T.)。

じいさんばあさんにとったら別れたら自分が周りのもんと別れん限り会えんで、別れたらまた高いところで感動の再開して、「あんたもよう成仏しはったなぁ」言うんやから。

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2003年5月3日(土)

受験生になってから初めて日記を書いた。

気付かぬうちに戦争は終わり、ここもバクダットと同じ無法地帯になりにける。

窓から外を眺めているうちに、部屋の中がゴミだめになっていたようなものだ。

この事実に気付いたのはT高校パナウェーブ研究部の活動に参加して、スカラー波を通して己のHPを客観視したときである。

千乃正法の代表はミカエルでイエス様とも仏陀様ともお話が出来るそうな。

あんたがミカエルならわてはごっついちょんまげジャポニーゼで網走で服役中のおっさんとお薬でお話でき候。

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2003年5月17日(土)

無辜な私に神仏は制裁を加えた。

学校別ガイダンスと称した授業で、志望大学の恐ろしさに圧倒された。

私は試験問題に慄然とさせられ、一年次の自分の懶惰・淪落を悔やむ、気付いたときには我が目睫は朦朧としていた。

そのときの私はまるで桎梏を付け、車に轢かれ轢死した感があった。

このままでは私は揺曳し、玲瓏することなく耄碌するしかないのか。

僥倖が無い限り、この遼遠なる道程を天稟もない私に乗り越えることは禿頭となりとも不可となりなん。(諧謔が無く晦渋すぎるやも...御免)

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2003年5月24日(日)

最近、視力の悪化が急に気になり始めた。

頑固な私は隣が眼科なのにもかかわらず、視力を測ってもらい眼鏡をつけようともしない。

受験生なので視力が悪くて授業が捗らないとなっては大変だ。

遠くの緑を見て少しでも視力を回復しようと無駄な抵抗を試みているが、こんな風に日記を書いているようは視力の回復は望めない。

頭の中は悩み事がいっぱいでとるもの手につかず、勉強をする気にならない。

こんな言い訳ばかりしていたから、先日の模試も悲惨な結果に終わったのだ。(現在意気消沈してこんな事しか考えられない)←考える前に動け!

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2003年5月31日(土)

久しぶりに、プログラム言語をお勉強にいろんなサイトを覗いていた。

私がHTMLの学習を止めてから一年ちょっとの間になんかHTMLでもジャヴァスクの機能を果たすもんまでできてるではないか。

現在かなり驚きで早くやりたいのは山々なのだが、受験生たるもの他所事に気を取られていてはイカンザキ。

神崎代表もこういっておられるのだから、我慢して密かに学習を進めよう。(やるんかい!)

神崎代表にばれない限り大丈夫だろう。(一体あんたは神崎の何のさ!)

一つ付け加えておくが、私は決して政治家の不倫相手でもなく、そんな本を出すつもりも無い?

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2003年6月15日(日)

やっと中間終わったし、多分点数も終わってるし。

これでやっと夏休みまで安心してい過ごせるというもの。

進路のK先生曰く、「6月は中間以外テストをする予定はないから勉強しまくれ、あほんだら」らしい。(一部脚色)

しかしそれにつけても中間テストの数学の衝撃が強すぎてとるもの手につかず。(追試の確立大?)

もうここまでいったら自らの悟りを開き勉学の道に突き進むしかないのか。

こうしてまず第一歩として「死にさらえ!」という言葉を覚え、国語力が10UPした。

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2003年6月21日(土)

学校の眼科検診等で「おんどれ早う、目医者いかんかい」と言われたのでしゃーなし隣の眼科に行ったんどすぅ。

中学校の頃から眼球の力が低下していることには気付いていたのだが、隣が眼科ということもあって行かなかった。(謎な発言をお許しくんなまし)

でっもぉー、受験生だし、もっしぃー急に見えなくなってら困るって感じなので行ってったて話。

診察結果は「自分の目、一回穿り出して高圧電流かけて目玉焼きにしたろか。」とは言われず。

「金が払えんのやったら、おんどれの目担保にして金借りてこんかい。」と言われたわけでもなく。

結局、「神聖の菌糸です。」と言われ、自分はカビ等の親玉みたいなものかと思わされた一日だった。

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