富士山

 モロッコ旅行記
 2018年12/26-2019年01/03 
(出発編)

12/26(水)、日が西に傾くと竹バイクは慌ただしくデスクを片付けて退社。

年末に2日間の有給を取り、一足先に正月休みに入りました。

帰宅後、旅の準備を整え、妻が作ってくれた早めの夕餉を平らげ、20時前にバックパックを背負って独り家を出ました。

梅田から乗客が4人しかいない空港バスに揺られ、関空T1に21時半頃到着。

今回向かうのは、北アフリカのモロッコです。

モロッコと言えばカオスな雰囲気のマーケットや砂漠など魅力的な場所が数々あり、以前から行きたいと思っていた場所でした。

ただインド、エジプトに並び、世界三大うざい国に数えられるという話も聞いており、それなりに覚悟をして向かいます。

23時半頃、2階建てのA380で運航されるエミレーツEK317はほぼ定刻通りに離陸し、一路ドバイへ。

11時間のフライトを終えてドバイに到着したものの、到着の遅れと空港内のバス移動でカサブランカ乗継がぎりぎりになりました。

ただ私が思っている以上にモロッコはメジャーな旅行先らしく、同じ境遇の日本人が大量発生したため空港職員が対応してくれて事なきを得ました。

ドバイからカサブランカまでは再び長距離フライトで、8~9時間の飛行機に拘束されました。

最終的にカサブランカに到着したのは、機内のフライトモニタで12/27(木)12:15でした。

入国審査と税関を通過し、必要そうな現金2万円を現地通貨のモロッコディルハムDHに両替しました。

モロッコはヨーロッパが近いのでユーロが強いみたいですが、日本円でもそれなりのレートでした。(手数料3~4%くらい)

因みに1ディルハム=10円くらいなので計算は非常に簡単です。

カサブランカのムハンマド5世国際空港の地下からはONCFという鉄道が出ており、カサブランカ市街地や他の街を結んでいます。

ということでONCFの窓口でマラケシュ行きの2等席を164DHで購入。

途中のL'OASIS駅で乗り換えるように言われて、発車時間を見ると14:55。

私の時計では13:30だったので1時間以上あると思って、一旦駅の外に出ようとしたのですが、警備員に止められました。

恐い顔で「一旦入ったら出るの禁止」と言われました。(涙)

しばらくすると電車がやってきたのですが、1時間前なのでおかしいなと思いながらも乗車。

車内で乗務員に怒られることを覚悟していたのですが、何も言われずにスルーされました。

私と同じマラケシュに行くアメリカ人のおじさんと喋っていると、おじさんは1等席のチケットを2等席の倍の値段で購入されてました。

調子乗って1等席のチケット買わなくて良かったぁ...。

乗換のため1駅目のL'OASISで下車して反対側のホームに移動し、マラケシュ行きの電車を待ちました。

すると再び私の時計より1時間早く列車がやってくるではありませんか...。

地球の歩き方にもエミレーツの機内表示にも日本との時差は9時間と書いてあるので私の時計は間違っていないはず...。

でも実際にやってくる電車と駅に設置してある時計を見ると何故か1時間早い。

年の暮れなので流石にサマータイムじゃないだろうと色々不安を抱きながらやってきた電車に乗りました。

2等席と言っても車内は全然普通で、空いていることもあり非常に快適でした。

竹バイクの中にあるモロッコと言えば砂漠のイメージなので荒野を走るのかと思いきや、最初は緑豊かな土地が広がっていました。

緑は豊かでも車窓から人の姿はほとんど見えず、馬と牛が放し飼いされている風景が延々と続きました。

途中から緑が無くなり赤土がむき出しの荒地も出てきて、ようやくモロッコらしくなってきて18時15分頃にマラケシュ駅に到着しました。

マラケシュ駅は新市街のゲリーズ(GUELIZ)と呼ばれる地区にあり、観光地として有名なメディナ(旧市街)からは2~3km離れています。

この日の宿は駅から500mほどのところにあるALMAS HOTELを予約していたので日が暮れる前に早速向かいました。

はい、いきなり迷子になりました...。

メディナは迷路のような構造のため迷子になることで有名ですが、私は新市街で迷子になりました。

困ったら人に聞くのが鉄則なので、レストランのお兄さんに聞いたらお目当てのホテルは目と鼻の先でした。(笑)

予めチェックしておいたホテルの場所が間違っていたというオチです。

こうしてホテルにチェックインして水平線の向こうに沈み行く太陽を眺めていました。

この日は長距離フライトの疲れもあり、遊びに行く元気は無かったのでシャワーを浴びて部屋でゆっくりしました。

ふと時刻の謎が解けていないのを思い出して、ホテルのwifiに接続して調べてみました。

2018年のモロッコのサマータイムは10/28で終了するという情報を信じれば時差は9時間時差のはず。

ただGOOGLE先生でマラケシュの時間を調べると日本と8時間時差とのこと。

意味が分からないのでもう少し調べてみると、10/28で終わるはずだったサマータイムが継続になったらしいです。

したがってこんな年の暮れでも8時間時差であり、色々おかしなことになってたんですね...。

謎が解けたのは良かったですが、空港駅で警備員に駅から出るのを禁止されてなかったら絶対に電車を乗り過ごしてましたね。

恐い顔とか言ってしまって申し訳なかったですが、あの警備員さんに今は心から感謝しています。

何はともあれ無事にマラケシュに到着出来たので、明日に備えて眠りについたのでした。

 モロッコ旅行記
 2018年12/26-2019年01/03 
(マラケシュ編)

12/28(金)、モロッコ滞在2日目。

前日に早く寝たこともあり、朝5時に目が覚めてしまい、そこから全然眠れませんでした。

意地でも時差ボケとは認めない竹バイクです。

7時まで布団の中でゴロゴロ過ごして、ホテルに付いている朝食を頂きました。

この旅で何度か朝食をホテルで食べますが、基本的にはパンの種類が豊富で、サイドはチーズ、ハム、ゆで卵くらいしかないです。

お腹を満たして部屋に戻り、カーテンを開けると7時半だというのに外はまだ真黒でした。

年中サマータイムにしたおかげで8時を過ぎないと日が昇りません。

日が昇るのを待ち、8時半にホテルをチェックアウトして荷物だけ預けてマラケシュ観光を開始しました。

外に出てみるとウインドブレーカーだけでは少し寒いくらいの気温でした。

マラケシュ観光と言えばジャマエルフナ(広場)を中心とした旧市街メディナです。

ホテルのある新市街から朝日に照らされながら旧市街へ向かいました。

しばらく歩くと途中でクトゥビアと呼ばれる高さ77mの塔が現れました。

12世紀末に建てられたとは思えない立派な建築物で、今でもマラケシュのシンボル的存在らしいです。

観光地だけあって物売り的な人がいましたが、一人で歩いている私にはあまり興味が無いようでした。

まだ朝早いので、ジャマエルフナ周辺の商店等は開いていないと考え、クトゥビアから南に下った史跡地区へ向かいました。

この史跡地区には王宮、墳墓、宮殿などの歴史的な建造物があります。

まずはマラケシュで一番美しいと言われているアグノウ門からこのエリアに入ることにしました。

この門の上に鳥らしきものがいるのが分かると思いますが、門の上に複数のコウノトリが営巣しています。

門から東へ進むとアルマンスールモスクが現れました。

このモスクの横にサアード朝の墳墓群というのがあるので、行ってみると料金は10DHと書いてありました。

10DHなら出しても良いかと思い、受付で10DH出すと70DHだと言われました。

モロッコ人は10DH、外国人は70DHという鬼の所業でした。

70DHって京都のボッタクリ寺院よりも高いやないか。

守銭奴竹バイクは70DHと言われた直後に自然と体が拒否反応を起こして一目散に外に出ました。

こうして墳墓群はスルーしてさらに東へ歩くと味わい深い街並が現れ始めました。

しばらく歩くとバヒア宮殿に辿り着きました。。

ここは色々美しいと聞いていたので、外国人価格70DH払ってでも入ることにしました。

バヒア宮殿は18世紀の建物なので、それほど歴史が古いわけではないですが、美しい彫刻などは感動するレベルです。

宮殿の詳細は割愛しますが、ここなら70DH払ってでも見る価値はあると思います。

宮殿を出て、北へ向かうとさらに商売の香りがプンプンするエリアになりました。

このあたりを彷徨い歩きながら、この日のもう一つの目的を竹バイクは果たそうとしていました。

砂漠ツアーを格安で申込むというタスク。

日本からネットで注文すると一番安いもので3日間ツアーで87ユーロです。

ただ現地で交渉すればさらに安くなるという情報があったので現地で交渉することにしました。

まさに関西人の腕の見せ所!!

とりあえず店を覘いてみて店員がヤバそうじゃない店を選んで入りました。

すると感じの良さそうなおっちゃんがいきなり60ユーロを提示してきて、思ったより安くてびっくり...。

交渉することなくネットより30%安くツアーを申し込むことが出来ました。

結局、全く交渉してないやん...。

まぁ、騙されているんじゃないかとちょっと心配になりましたけどね。(笑)

こうしてこの日のタスクをひとつこなして、ジャマエルフナに出ました。

ここはマラケシュというより、モロッコを代表する広場で中央にはテントタイプの店が軒を連ねています。

物売り、パフォーマー、客引きなどが沢山いるので、こういう場所では声をかけられても反応しないのが一番です。

そういうオーラの出し方をいつの間にか習得したらしく、最終的に竹バイクはどこの国でも基本声を掛けられなくなりました。

もしかすると竹バイクがヤバい顔して歩いているのかもしれませんが...。

ちょうど昼前になったので、散策を続けながら適当な飯屋を探しました。

最終的にジャマエルフナの少し東側にあるBakchich Cafeというカフェに入りました。

店の名前が「爆竹」に見えるのは私だけでしょうか...。

ここでモロッコではメジャーなミントティー14DHとチキンと野菜のタジン65DHを頂きました。

ミントティーは香りが強いですが、砂糖を大量投入して飲むとなかなかイケます。

モロッコ料理として有名なタジンはかなりのボリュームでパンも自動的に付いてくるので本当にお腹いっぱいになりました。

お腹を満たして次に向かうのはジャマエルフナの北側に広がるスークです。

スークというのは迷路のように入り組んだアーケードの商店街みたいなもので細い路地に商店が犇めき合っています。

革製品、真鍮製品、絨毯など色んな店が並んでいますが、迷路なので同じ店に戻れる可能性はゼロです。

とりあえず商店街好きの竹バイクは歩いているだけで満足でした。

スークを歩いていると、少し開けたラハバカディーマ広場に出ました。

この広場にはカオスな露店や絨毯を壁一面にかけた店などがあり、ここもなかなかインスタ映えスポットです。

スークの北側にはベンユーセフモスクやマラケシュ博物館がありますが、商店街散策の方が楽しいので横を通るだけにしました。

こうして色々見て回った後にジャマエルフナ周辺に戻ってきました。

気付けば時刻は14時を過ぎており、朝から歩き疲れたので、一旦新市街に戻ってこの日のホテルへ移動することにしました。

途中で公園などを散策しながら戻ったのですが、先進国と同じレベルにしっかり整備されていました。

ALMAS HOTELで荷物を受け取り、数百mだけ離れたHOTEL LE CASPIENに移動。

チェックインを済ませて、疲れたので17時までシエスタ。

17時に再起動して、新市街にあるカレエデンショッピングセンターへ。

ここのB1Fにはカルフールが入っているので、明日からの砂漠ツアーで必要そうな飲料などを購入しました。

その後、ぶらぶら新市街を歩きながら肉料理店が立ち並ぶ通りに到着しました。

ここにあるChez Ouazzaniという店でミックスグリル55DHとオランジーナ10DHを頂きました。

羊肉、牛肉ボール、鶏肉、ソーセージと色々なお肉が付いていてこのお値段なら確かに安いです。

ここでもパンとか小皿料理が自動的に付いているのでお腹いっぱいに絶対になれます。

こうして19時頃にホテルに戻って、この日のタスクは全て終了。

この旅行記の下書きを終えて、明日に備えてゆっくり眠りについたのでした。

 モロッコ旅行記
 2018年12/26-2019年01/03 
(砂漠ツアー編1)

12/29(土)、この日はメルズーガの砂漠ツアー1日目。

ホテルの朝食は本当なら7時からでしたが、少し早く食べたいと言ったら6時半から食べることが出来ました。

HOTEL LE CASPIENは良いホテルです。(ホテルの回し者!?)

朝食を食べ終えてチェックアウトし、7時15分頃に迎えの車が来ました。

私以外に2名をピックアップしてジャマエルフナ広場の南にあるツアーオフィス的なところへ。

ここで送迎してくれた人にツアーの残りの代金を払って18人乗りのマイクロバスに乗り換えました。

この時点でお金を払うのはツアー客によって料金が異なるからみたいです。

私は60ユーロでしたが、同じツアーで95ユーロ、85ユーロ、75ユーロなど色々いました。

ドイツ人2名、イタリア人2名、アメリカ人2名、オランダ人3名、イギリス人1名、中国人5名、日本人1名(私)、モロッコ人(運転手)を乗せて8時過ぎに出発。

車はマラケシュの街を離れて郊外へと進み、そこからアトラス山脈を越えていきます。

途中2~3時間に一回休憩を挟むので、きれいな景色なんかを撮影したり出来ます。

休憩地点の店からマージンを貰っているのでこんなに安くツアーが成立しているわけです。

別に強制的にカフェをしないといけないわけではないです。

ただ欧米人はカフェが無いと死んでしまうようです。(笑)

車はどんどん山を登っていき、頂上付近に雪が残るアトラスの山々を拝むことが出来ました。

標高2000m程度まで上がり、そこから南に下ると乾燥した大地が広がります。

昼頃になって最初の目的地である世界遺産アイトベンハッドゥに到着。

ここで現地ガイドがやってきて、この場所の説明をされながら散策しました。

最初にガイド料金25DHと昼食代は追加でかかると説明されました。

昨日訪れたツアーの店ではガイド料金は20DHで良いと言われたのになぁ...。

このアイトベンハッドゥはグラディエーターやハムナプトラ2などの撮影などに使われたことでも有名らしいです。

写真の小山のような場所が元々のカスバ(集落)ですが、電気も無い不便な場所なので今は8世帯だけが暮らしているそうです。

その他の世帯は川の手間のある程度便利なところに引っ越してきているんだとか。

この川には橋の代わりに土嚢袋が飛び石的に置いてあって、そこを大股でジャンプして渡ります。

大して苦ではないですが、背の低い女性など一部の方には厳しいのでそんな方には強い味方がいます。

チップ目当ての子供たち!!

お客さんの両手を持って一緒に川を渡ってくれて渡り切ったらチップを要求します。(笑)

何はともあれアイトベンハッドゥの中はお土産屋さんがいっぱいですが、ガイド曰く「全部マラケシュで買える」そうです。

頂上まで登ると四方を見渡せて、なかなか絶景が広がっていました。

このアイトベンハッドゥはマリ王国の首都だったトンブクトゥとの交易の中継地点だったそうで、当時はトンブクトゥまで51日かかったそうです。

因みにマリ王国は金銀の産地として昔は非常に裕福だったとのこと。

こうして入り組んだアイトベンハッドゥの小山を下り、橋を渡り、スカーフの店へ連れて行かれました。

スカーフは砂漠のパスポートだから持っておいた方が良いとガイドがいうのですが、マフラーで代用するので私には不要。

こうしてツアーを終えて昼食の店へ移動しました。

連れて行かれた店は完全に観光客相手の店でスープ、タジン、ミントティーで135DHも取られました。

ここで食べたタジンはタジンケフタというミートボールと玉子の入ったものです。

食事中にさっきのガイドがやってきてガイド料金を徴収し始めたのですが、35DHと言い始めました。

お前さっき25DHって言ったやんけ!!

さっきと言ってること違うと揉めようとしたらアメリカ人に止められました。

高々100円の差なので良いですけどね。

食事を終えて、時間を確認したらもう15時になっていて、次の目的地へ急いで出発。

急いでいるというのにイタリア人とオランダ人のおっちゃんはカフェを要求。

カフェに言ったらゆっくりコーヒーを飲んで煙草を吸ってなかなか帰ってきません。

時間の使い方がラテン系そのものです。

竹バイクのようなコーヒーや煙草のような嗜好品には一切縁の無い人間はその辺の写真を撮って時間を潰してました。

こうしてワルザザートというこのエリアでは比較的大きな街に到着。

映画の撮影地としても有名らしく関連施設があるのですが、特にすることも無く15分休憩。

この日の宿があるダデス渓谷に到着したのは18時半頃になっており、段々と辺りが暗くなってきました。

UKの大学に通う中国人大学生4人組は違うホテルで先に下車。

その他の12人を乗せた車は渓谷の奥に進み、少しだけ写真撮影をしてからホテルに向かいました。

この日のホテルの名前は忘れてしまいましたが、色々難ありでした。

渓谷なので夜は寒いのですが、暖房を付けるためには追加で100DHを支払う必要があります。

めちゃくちゃ重い布団と毛布はあるものの、これだけでは心許ないと相部屋の中国人と話していました。

そうすると先に100DHを払ったイギリス人女性が部屋に来て、「私のエアコンのコントローラーでこの部屋も温かくできるんじゃない?」と提案。

なんて名案を思い付くんだ!!いざ実行。

作戦失敗...点きませんでした。

仕方なく中国人と私で5ユーロずつシェアして暖房を付けました。

晩御飯はスープ、クスクス、フルーツとホテルの従業員の民族楽器の生演奏付きでした。

何となくチップが欲しそうでしたが、特に音楽は望んでいないのであげません。

暖房が効いてシャワーも温かったので、何も苦しむことなくこの日はぐっすり眠れました。

 モロッコ旅行記
 2018年12/26-2019年01/03 
(砂漠ツアー編2)

12/30(日)、砂漠ツアー2日目。

6時半に起床して、7時に簡単な朝食を食べていると、欧米人が文句を言いながら出てきました。

彼らの部屋は暖房も無ければ、温水も全く出なかったそうです。

おっさんたちはともかくオランダ人の大学生の女の子が寒そうにしているのはかわいそうでした。

7時半出発ということで、食後の歯磨きなど身支度を簡単に済ませてチェックアウト。

昨日の音楽のお礼にお金はあげないけど日本から大量に持ってきた消えるボールペンをプレゼントしました。

展示会で山ほど貰って邪魔だったものを有効活用。

こうして車は来た道を戻り、違うホテルに泊まった中国人大学生4人をピックアップ。

ブルジョアな彼らは俺らのホテルよりしっかりしたところだったんだろうなぁ。

この日、最初の目的地であるトドラ渓谷に向かう途中でガイドらしきベルベル人が乗ってきて、ベルベル人の生活などを教えてくれました。

結婚相手はお祖母ちゃんが決めるのが風習で、相手の顔は結婚してみるまで分からないそうです。

でもベルベル人は顔ではなく心で人を見ているから問題ないと言ってました。

きれいごとやとオランダ人のおっさんが食って掛かってました。(笑)

そんなこんなで切り立った壁に挟まれたようなトドラ渓谷に到着。

ここの渓谷の間を流れる川はめっちゃきれいとガイドはいうのですが、本当にきれいかは不明でした。

トドラ渓谷滞在は一瞬でガイドに連れられて再びバスに戻り、近くのティンジルという街へ。

バスを降りると草で出来た人形を持った子供たちが近づいてきました。

受け取ったら金を要求するいつものパターンです。

ここで街の中を歩きながらガイドがベルベル人の住宅を説明。

動物の糞や土を重ねたナチュラルな家に住むノマドライフらしいです。

日本でもノマドは流行していますが、ちょっと日本とは感覚が違うような気がしますね。

この街ではユダヤ人とベルベル人が仲良く暮らしているんだとか。

色々説明を受けた後、最終的に私たちが連れていかれたのは、絨毯屋さんでした。

...こういうツアーだから仕方ないよね。

苦しみの時間は1時間以上続き、解放されたのは昼頃でした。

ここから再び車は東へ進み、14時頃に遅めの昼食。

この日はモロッカンサラダとベルベルオムレツを頂きました。

味は美味しかったですが、ベルベルオムレツが何なのかは最後まで分からなかったです。

食後も2時間くらい車で移動して、ようやく最終目的地の砂漠の街メルズーガに到着。

ここにはエルグシェビという砂(すな)砂漠があり、世界中から観光客が押し寄せます。

砂丘が延々と続く景色は鳥取砂丘の100倍は凄いので行く価値ありです。

この日は砂漠の中でキャンプなので砂漠の入口からラクダで移動。

因みにラクダの足元にあるのは全部奴らの糞です。(チョコボールじゃないよ)

20分くらいラクダで移動したところにあるキャンプに到着。

そういえば昨日のアイトベンハッドゥのガイドは2時間くらいラクダで移動するからスカーフ買えとか言ってたけど...。

全てが仕組まれた罠だということです。(笑)

キャンプには同じようなツアーの客が沢山来ていて、山小屋のような感じで雑魚寝です。

もうすぐ日が暮れると言われて砂丘の頂上へ歩いて向かいましたがこれが大変。

サラサラの砂はどんどん崩れるのでなかなか進めないんです。

こうして息を切らしながら何とか一番大きな砂丘の頂上へ到着。

苦労した甲斐があってそこからの景色は抜群でした。

グループで写真を撮ったりして楽しんでから太陽が沈むとともにキャンプに戻りました。

キャンプでは机を囲んで色んな話などをしていると空には満点の星空が広がりました。

街の光が入ってくるので、天の川までははっきり見えないですが、そこそこきれいでした。

こうして独りでずっと写真を撮っているといつの間にか夕食が始まっていました。

後から遅れていったので、全然知らない人たちと一緒に食事をする羽目になりました。(涙)

食後はキャンプファイヤー的なものをして楽しんだのですが、火が無いと耐えられないくらい寒かったです。

この日の砂漠の気温は最低-2℃くらいまで下がったらしいです。

そんな中でテントは常時開けっ放しなので外と気温がほとんど変わらないんです。

ロンT、シャツ、フリースの上からダウンを着て上半身を守ったのですが下半身が手薄でした...。

カイロを2つ出して何とか寝ようとしたのですが足が冷えて全く寝れず...。

深夜に外に出て独りでまた夜空に輝く星を眺めていました。

流れ星に「寝れますように」と祈りました。(切実な願い)

テントに戻って靴下の中にカイロを入れて足をウィンドブレーカーで包んだら何とか微かに寝れたような気がした砂漠の夜。

  モロッコ旅行記
 2018年12/26-2019年01/03 
(砂漠ツアー編3)

12/31(月)、砂漠ツアー3日目。

朝5時半に出発だと聞いていたので、朝5時に起床しました。

というか寝れなかったので自動的に起きたんですけどね。

ただ5時とか5時半に起床しているのはうちのグループだけで他の方々は動きもしませんでした。

ここで私の身体に異変が生じました。

完璧な下痢...。

お腹のギュルギュルと変なゲップが止まらないヤバい状態です。

何とか耐えながら、結局7時頃にラクダがやってきて砂漠の出発地点に戻りました。

朝日を待っていたのですがなかなか上がって来ず、私の腹の方が限界になったので朝日は諦めました。

こうして施設(ホテル?)でトイレに駆け込んだ後、パン1切と温かいコーヒーを腹に流し込み出発。

出発後は独りでお腹と格闘しながら10時間以上かけてマラケシュに戻ります。

休憩地点に着くたびにトイレに駆け込み、お腹の液体を全て出し尽くして何とかやり過ごしました。

バスの中で日本のIWC脱退で責められましたが、そんなことどうでも良かったです。

ランチのときには流石に何も食べられず、心配してくれたドイツ人が下痢止め薬imodiumをくれました。

この薬は強力な正露丸的なもので、飲んでしばらくするとお腹の動きが止まりました。

ただ日本人には相当キツいのか、関節の痛みの後に心臓付近が痛くなりました。

何にせよ優しいメンバーに囲まれて私は幸せです。(涙)

とりあえず暇だったので、車窓から写真を撮ってました。

こうして19時頃にマラケシュに到着して、各ホテルまで送迎してもらいました。

この日のホテルはResidence Appart Hotel Assounfouというところで当然部屋も温かく、温水も出ました。

文明の力に感謝です。(笑)

さらにホテルには下痢の患者にはうれしいものが備え付けてありました。

ウォシュレット!!

こうして心臓の痛みを耐えながらシャワーを浴びて21時には就寝。

32年生きてますけど、一番辛い大晦日だったと思います。

 モロッコ旅行記
 2018年12/26-2019年01/03 
(カサブランカ編)

1/1(火)、新年の朝、目覚めると心臓の痛みは治まっていました。

ホテルで朝食を8時頃に頂いて、昨日食べていない分を取り戻しました。

食後、部屋の外からこの年最初の朝日を眺めていました。

9時半前にホテルを出発し、カサブランカに戻るためマラケシュ駅に移動。

窓口でカサブランカCASA VOYAGEUR行きのチケット121DHで購入し、10時発の電車に乗り込みました。

今回の2等席はボックス席だったのですが、私は黙々とこの旅行記を書いていました。

すると斜め前に座っていた見ず知らずの兄ちゃんがみかんを分けてくれました。

人の優しさって大切ですね。(涙)

電車で移動すること2時間38分で定刻通りカサブランカに到着。

駅を降りて最初に思ったのは、カサブランカは都会度が半端ないです。

駅前にはトラムが走っており、これだけでも近代的です。

トラムは1回8DH(紙チケット代2DH)の切符を自動券売機で購入し、チケットを自動改札に当ててプラットフォーム入る仕組みです。

路面電車において先払い、後払いのどちらが良いかは議論の余地はありますが、とにかく新しいです。

トラムに乗車して東へ数駅のマルシェセントラル駅で下車。

道沿いだけを見るとパリの街並かと思うほどです。

私はパリには行ったことは無いので知ったかぶりですけどね。

駅前には私が大好きな市場がありますが、荷物が重いのでとりあえずこの日の宿「Best Western Hotel Toubkal」にチェックイン。

四つ星ホテルだけあってチェックインの対応から部屋の中までしっかりしていました。

少し休憩して14時半頃にホテルを出て、周辺散策を開始。

とりあえずさっきスルーしたマルシェセントラル(中央市場)に行ってみることにしました。

カサブランカは海に面する街なので、市場内には海産物が多く扱われていました。

市場の奥はレストラン街になっており、ふらふら歩いていると店のお兄ちゃんに誘われたので入ってみました。

席に座って料理を注文しようとしたときに想定外の問題発生。

店員さん誰一人、英語話せない...。

とりあえずフランス語と英語の通じているような通じていないような会話を繰り広げました。

イカのグリル80DHを注文したら、パンと一緒にいきなりモロッカンサラダと豆スープが出てきて、その後に焼きナスが登場。

マラケシュの肉の店でも同じようにサイドメニューが出てきたから同じように無料なのかな...。

それほど深く考えることなくそれらを食したらメインのイカがやってきました。

身が柔らかくて美味しかったですが、イカを焼いただけだと酒のアテにしかなりませんね。

しばらくすると何故か店員がエビを持ってきたので流石におかしいと思って「頼んでないよ」と言いました。

そうすると"Gratitude(感謝)"だと言って、特に支払う必要はないとのこと。

海老は甘えびを焼いたみたいな感じで手はベタベタになりましたがなかなか美味しかったです。

結局、会計するとイカ80DH、コーラ10DH、豆10DH、サラダ10DH、ナス10DHで120DH取られました。

あわよくばエビも値段に含む気やったやろ...。(笑)

昨日何も食べておらず、食欲は全然あったので、まぁ良しとします。

マルシェを離れてトラムの線路沿いを歩いていくとアーケードの商店街や歩行者天国などがありました。

観光客の姿は少なく、地元民で賑わっている感じです。

広場にも人が沢山おり、カサブランカは単なるモロッコの都会なんだなあと改めて感じさせられました。

この後に向かったのはカサブランカの旧市街メディナです。

マラケシュのようなカオスなメディナではないですが、ちゃんと壁に囲まれたエリアになっています。

中に入って3分ほどで観光客相手の店は無くなるので観光客は皆無でした。

いつもの竹バイクならメディナ散策をするのですが、このあたりから何だかしんどくなってきたのでホテルへ戻ることにしました。

ホテルに戻ったら、下痢がカムバック...。

気分が萎えてしまい、大きなベッドに入ってボーっとCNNをエンドレスで見続けていました。

無理は禁物なので、この日はしっかり休んでモロッコ滞在最終日に備えたのでした。

 モロッコ旅行記
 2018年12/26-2019年01/03 
(帰国編)

1/2(水)、モロッコ滞在最終日。

8時頃起床し、太陽が昇るのを待ってカメラだけ持ってホテルを出ました。

カサブランカでやり残した2つのことをやるためです。

ひとつは世界で7番目に大きなモスクであるハッサン2世モスクに行くこと。

もうひとつは観光ガイドには載っていない謎のカラフルな街を訪れること。

どちらもホテルがあるCASA PORT駅周辺から北西方向にあるので、2時間くらいかけて散歩してみました。

まずはホテルから2kmほどの海沿いに建つハッサン2世モスクへ。

メディナを囲む壁に沿ってしばらく歩いていると、簡単に見つけることが出来ました。

ガイドブック等には指定された時間しか入れないと書いていますが、中に入れないだけで外から写真撮影は出来ました。

ここまで歩いてやってくるような竹バイクのような人間は少なく、大抵はツアーバスで訪れているようでした。

モスク撮影を終えて、帰り道はいかにも地元臭しかしない道を通って謎のカラフルな街を探しました。

しばらく歩いているとメディナの北西沿いのエリアに何だか色が付いた壁を発見。

細い路地に入ってみると紫やら青やらで塗られた家々を発見。

モロッコのシャウエンが青い街として有名ですが、カサブランカには虹色の街があるんですよ。

観光客など皆無なので地元民からめっちゃ見られますけどね。

このカラフルな街にはみんなが大好きなネズミのキャラクターらしき絵もあったりします。

似ているようで似ていないのでディズニーも手を出せません。(笑)

アニメなら日本も負けていないので、こんな絵もあったりします。

こいつの近くで必ず殺人事件が起こるから気を付けてくださいね。

あとJKとたまに一緒に風呂に入るってのはイスラム的にアウトでは...。

こんな面白い街があるのは、メディナの外側で本当に地元の人しか通らない場所なので興味がある人は探してみてください。

カサブランカですべきタスクを終えて、帰りはメディナの中を通って帰りました。

ここのメディナは地元民が普通に生活している感じがあって私は好きです。

こうしてホテルに10時半頃に帰り、少し休憩してから11時20分頃チェックアウト。

CASA PORT駅から11時55発の電車に乗ってムハンマド5世国際空港に12時40分に到着。

エミレーツのカウンターでチェックインを済ませて、無事に出国。

ここでお土産を買おうと思ったのですが適当に配れるモロッコ土産が無くて困りました。

何とか手持ちのDHを消費してモロッコ的なことが書いてあるクッキーを手に入れ、15時05発のエミレーツEK752便でドバイへ。

ドバイで関空行のEK316に乗り換えて、関空に到着したのは1/3(木)17:30になっていました。

この旅を振り返ってみると世界三大うざい国のひとつがモロッコだと聞いて最初は少しビビってました。

しかしビビる必要は全く無く、道を聞いたら教えてくれるし、知らないお兄さんがミカンを分けてくれたりもする良い国でした。

もしかしたら気付かないうちにボラれているのかもしれませんが、気付かなければ問題ありません。

あとは「砂漠の寒さを舐めたらアカン」という教訓を得られただけでも良い旅だったのではないかとと思います。

これで下見は終わったので、今度は家族でスペインからモロッコに入る旅を脳内に描きながらこの旅行記を締め括ることにします。

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